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瞑想と祈り
瞑想(めいそう)とか、祈り(いのり)と
聞いてどう感じますか?
私の師匠はお寺の副住職でした。
参拝者にこのような質問をすると、
次の3種類の答えが返って来るそうです。
タイプ1
「なんか宗教くさい」
「なんかあやしくない」
「そんなの迷信でしょ」
など、
うさんくさいと思うタイプ
タイプ2
「そんなこと、考えたことありませんでした」
「どう感じるかって、、、あまりよくわかりません」
など、
どう答えていいか分からないタイプ
タイプ3
「とても大切なことだと思います」
「意識して実践しています」
など、
人によって感じ方がまちまちなのは
当然ですが、
タイプ1、タイプ2の人は
「とてももったいない」ことをしています。
なぜ「もったいない」のかと言えば、
「瞑想や祈り」の持つ精神に与える
影響やパワーを知らないがために、
瞑想や祈りがカラダにもたらす
幅広い効能を知らないがために、
「瞑想」や「祈り」を恐れ、怪しみ、
関心をもたないようにして、過ごして
いるからです。
実にもったいないことです。
ところで、瞑想とは何でしょうか。
瞑想とは、すべての活動をやめて
静かに座り、自分自身と向き合う時間です。
私たちの意識は毎日、
自分で主体的に生きているようでいて、
実は自分の意識で主体的に生きているわけではなく、
常に周りの刺激に反応させられて生きています。
電話が鳴れば、電話に反応させられ、
テレビをつければ、テレビに反応させられ、
人と会話をすれば、人の言葉に反応させられ、
ATMでお金を下ろせば、残高に反応させられ、
車にのれば、信号や道路の状態や、他のドライバーの
動きに反応させられています。
瞑想とは、そんな自分の意識や無意識に気付き、
本当の自分を引き出すテクニックです。
祈りとは何か。
古来人間は、世界中どんな国の、どんな民族も、
瞑想し、祈ってきました。
祈りを持たない民族はいません。
サッカーのワールドカップでPKの前に
選手が祈るのはなぜでしょうか?
愛する人が瀕死の状態の時、思わず
祈るのはなぜでしょうか。
人間はどんなに強がって見せても、
本当はそんなに強い生き物ではありません。
いざという時、何かにすがりたい、
何かを頼りにしたいと思う気持ちに駆られます。
それがまっとうな人間です。
そんな時、私たちの心身に何が起きているか。
緊張が起きます。
心身の緊張は、交感神経を高ぶらせて、
身体を興奮状態にします。
一時的な興奮状態ならよいのですが、
それが継続すると、心身が疲労し、
著しく免疫力が下がり、病気やケガ、
事故などに見舞われやすくなります。
そんな時、人々は祈るのです。
祈りには、心身の状態を一瞬にして
変えてしまう、ものすごいパワーがあります。
真剣に、必死に祈ることにより、
緊張(ストレス)を、一瞬にして安心(リラックス)に
持っていく作用があるのです。
そのことを経験的に知っている世界の
トップアスリート達は、
スタートの前に祈ります。
シュートの前に祈ります。
勝負の前に祈ります。
チャレンジの前に祈ります。
そうすることで、自分がリラックスして
精一杯、本来の力を発揮することが
できるから。
ちなみに、世界で共通する長生きな
職業はお坊さんなのですが、
私はその理由の1つに、瞑想と祈りが
あると考えています。
幸い、日本にはあちこちに神社やお寺、
教会があります。
特別な信仰がなくてもかまいませんし、
近くにそうした場所がないなら、
朝陽でも構いません。
古来日本人は太陽を拝んできましたから
お天道様に向って拝んでもいいのです。
1日に1回、静かに手を合わせて、
祈りを捧げてみて下さい。
1つ注意があるのですが、
祈りとは「お願いではありません」
試験に合格させてくれますようにとか、
大好きなあの子が振り向いてくれますようにとか、
誰かや何かを操作して自分の都合のよい方向へ
もっていこうとするものではありません。
自分が努力し、成長するためのエネルギーを、
自分に対していただくために祈ります。
そんなチャンスに感謝するために祈ります。
そして、自分以外の人、命などのよりよい
幸せを願って祈るのです。
そのことさえ間違えなければ、
祈りは恐ろしいほどのパワーを
私たちに与えてくれます。
世界人類が平和でありますように。
あなたの人生に良きことが、
どんどん降り注ぎますように。