心の絆創膏

私は今、心に貼り付けた絆創膏をはがして傷を外に出している時。


転んだ時、子どもにとって絆創膏って魔法みたいなもの。
傷出してるとイタイイタイ言ってるけど、絆創膏貼ると元気に動き出す。

でも、中の傷は絆創膏を貼っているとぐちゅぐちゅしたまんま。

空気にあてて外に傷を出すと、かさぶたができていく。
自分の内側から絆創膏を創り出しているみたい。


心の傷も同じ。

ショックがあったときは、感じるに耐えなくて
感情に蓋をして、思考で意味づけという説得をしたりして
日々暮らしていたりする。

私にとって感情を感じないようにすることや
思考で意味づけして、自分を説得することが
心の絆創膏だったんだと思う。

でも、感情に蓋をして、思考で意味づけをした納得した風な日々を続けていると、
こんなにエネルギーダウンするんだな。

それをすごく感じているこの数日間。


4月にあったすごくショックな出来事。

私は、自分でも不思議なくらい涙が少ししかでなかった。
何でだろ?と思ってたけど、
自動的に私は感情を抑え込んでいた。

そしてそこに、きっとやるべきことは全部やったから、

後悔しなかったんだと意味づけをしてさらに感情に蓋をした。


でもでも、本当は
苦しい、悲しい、嫌だ、後悔、嫌い、許せない、認めたくない、
ぐちゃぐちゃどろどろが沢山たまっていた。
そしてそこに見たくなかった自分が沢山紐づいていた。

自分をしっかり見てあげるために、
記録に残しておこう。


4月、私は野良ネコちゃんと車で接触事故を起こしてしまった。

猫さんが横切ったことも気づかずに、
車が何かに乗り上げた、そう思った。

でも、その感覚、昔に味わったことがあって
感覚で何が起こったのか察知した。
バックミラーで確認するのもすごく怖かった。

見てみたらやっぱり、猫さんが倒れている。

車を引き返して行く間すごい長かった。
嫌だ、信じたくない、噓でしょ、お願い死なないで!!


私はその時、昔父と車に乗っている時のことを思い出した。
父は猫を轢いてしまったことに気が付いたけど、
「たぶんもうあれはだめだ」そういって
そのまま車を走らせた。

私は後ろの席に座っていて、
「どうして!?何でそのままいっちゃうの!?戻って助けようよ」
そう泣いていた。


父のとった行動許せなかった。
父に対する嫌悪感がすごくなった出来事。

でも、自分が同じ状況になった時、
そのまま車を走らせた父の気持ちがわかってしまったような気がした。

父は猫が大好きで猫と接しているととても無邪気になっていた。

大好きな猫の大事な命を自分が奪ってしまった。
認めたくない。信じたくない。見たくない。

きっとそんな気持ちだったと思う。



血を流して倒れていた猫さんは、
すぐ近くの動物病院に連れて行ったけど、
もうだめだった。

私はどうして横切ってくるのに気が付かなかったんだろう、
運転に集中してなかったのかも、
時間を気にしていたからかな、
家を出る時間が数秒違ったらこんなことにはならなかったのに、
助手席でくうちゃんが泣いている。つらい現場にいさせてしまった。

いや、そんなこと考えていてもしょうがない。
起こってしまったことはどうにもならない。
今できることをしっかりやらなきゃ。

前うちの猫のうたちゃんが死んじゃった時も、
もう後悔はしない、そう誓ったじゃん。

頭の中ぐるぐるぐるぐるぐる。

時々亡くなった猫さんの残像をみながらも

この子の分も、うちの猫さんたちに愛情を注ごうと過ごしてた。
猫さんを轢いてしまったことはすごくすごく辛いことなのに、
誰かに話を聴いて貰うこともできず、泣くこともできず。
自分が起こしてしまったことを認められない期間がずっとだったんだろうな。


ほんとに一瞬で命が肉体から離れていってしまう。

それを目の当たりにしたくうちゃんは、
帰ってきてから窓に貼り紙をした。

「絶対猫さんを外に出さないで!」

外に出ることが習慣だったにゃー助。

外に出たがるにゃー助を出さないようにすることも心が痛む。
葛藤の日々が続くと思った。

でもにゃー助は
不思議と外にでなくなった。

玄関が開くのを察知したら玄関まで走って外にでようとしてたのも、
玄関で座って私を見送るようになった。

そして私にべったり甘えて、
くっついてくるようになった。


今週の月曜日、猫の去勢手術のために動物病院に。

その時に一緒になった方。
7匹の猫と旦那さんと暮らしている。

待合いにいる短い時間だったのに、
なぜかその方は、初めて会った私に
車を出す時に自分の家の猫を轢いてしまったと話してくれた。

「私もこないだ事故を起こしてしまったんです。
すごくつらかったですよね、私、わかります。
つらいし、悲しいですよね。」

やっとその時に、悲しい、辛いと言葉に出すことができた。


この数日の間、私はそんなわけで、
しっかりしっかり悲しいと辛いを感じてあげることができた。
同時に、沢山の出来事の感情の蓋が開いて
沢山の自分を感じてあげることができた。

4月は子どもたちも激動で必死だった。
4月末から今まで、なんとなく疲れている、
うまく回らない、うまく動けない、
休めと言われても休み方がわからない。

そんな感覚でいたけど、
感情の蓋が開いてきたことで、

なんとなく面倒でためがちになっていた洗い物を

自然にやってる自分を見つけた。


心の自然治癒力は、自分が感じたそのままを出してあげることで
発動するのかもな。

今の状況をどうにかしようとしないで、
そのまま感じさせてあげること、
私にはそれがとても大事みたい。

どんな自分も感じさせてあげることが
私にとって、とっても満たされることにもなる。

どうこうしようとしないで
その場にとどまって感じさせてあげることが
自分を休ませてあげることにもなるなと思った。

いつもどうにかしようと
必死になって
頭つかってよりどうにもならなくなってたな。

思考を使って、意味づけをすることも、
そのまま感じるを妨げる。

感覚と感情を大事にしていくこと、
それをどんどん自分に染み込ませていきたいな。

自分との向き合いはまだまだ下手だけど、
少しずつ少しずつ
色んな自分を見つけて出していってあげよ。


苦しい、辛い、傷ついた、それをしっかり感じたら
嬉しいもなんだか倍増している気がする。

いっぱい貼り付けた心の絆創膏、
どんどんはがしていこ。




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