右が動かないから帰れない?!

ちょいちょい出てきている

旦那の片麻痺について、

今日は書いていきたいと思います。


東日本大震災から2年経った頃、

旦那は被災した浜通りの改修などに当たっていました。


3年目は、喜多方しへ異動になり、

社宅は借りずに毎日1時間半くらいの距離を車で往復していました。


2014年11月20日20時30分過ぎ、

私の携帯に旦那から着信


”今から帰るよ”とかさえ、

かけてきた事ないのに不思議だなと思って出てみると、

「今日は右が動かないから多分帰れない」

というのです。


???

右が動かないから帰れないって、、、?

聞き返そうとしたけれど切れてしまいました。


そのあと何度か掛け直すも

通じません。


再度繋がった時には

もう呂律が回っていないようでした。

脳梗塞か出血だろう

そう思った私は、

「早く救急車呼んで!!!」


それだけ言うとまた切れて、


どのくらい経ったのか、

「今救急車に乗った」


救急車の中からかけてるようでした。


そのあとすぐ、

救急隊から連絡があり、

現在会津若松市内会津中央病院へ向かっているので、奥様も向かってほしいと。



その頃、子供たちは高1と中1。

近くに両親もいないし、兄弟もみんな遠く、

誰に頼ることもできないまま、

「とーちゃんが救急車で運ばれたって!

多分ママ今日戻れないと思うから、二人でセブンに行って買ってきて学校行ってね!」

子供たちにこう言って会津若松に向かったのを覚えています。


それから高速で会津市内へ向かう途中、

何度もスマホがなっているのがわかりました。


パーキングに入り確認すると、

担当医が手術の許可を今すぐにほしいとのことでした。


その許可の電話を切って、しばし呆然と考えました


このまま母子家庭になるかもしれないな・・・

未亡人か・・・

子供達受験もあるのにどうしよう・・・


涙も出ず、

ただただ唖然と、

そしてまたハンドルを握りました。


午前0時過ぎ

会津中央病院へつくと

救急受付で、

衣類や靴や、所持品の確認がありました。


免許証や財布

あああ、

本人に間違いないんだ

間違いではないんだ・・・

現実なんだ・・・


そうしているうちに

職場の方々が連絡を聞いて

駆けつけてくださっていました。


「気を確かにね」

「大丈夫かい?」


手術中もずっと付き添ってくださり、

終わったのは

朝5時過ぎ。


手術後の先生の話ももうよく覚えていませんが、

500円玉くらいの血の塊を摘出したのと、

脳のシワの部分に血が入り込んでいて

吸い出すのに時間がかかった


脳出血とくも膜下を同時に発症していたとのこと。


確かに

約1ヶ月くらい、手が痺れていると言っていたので、

病院に行くのを勧めるも、

血圧は200!!

生きているのもおかしいと言われているのにも関わらず

行くこともせず、

挙句は共々の両親に

「俺の血圧は200なんだよ!!」と電話しまくっていて呆れ果てていたところに

この出来事。。。


義理母父が東京から駆けつけ、

「あなたが気にすることは何もないよ、自業自得だわ!」

そう言ってくれたことだけが救いでした。


約6時間の手術が終わり、

I C Uに通され、見た景色、、、


開頭された前頭部分

顔が隠れるくらいの大きなガーゼが当てられ、

腕はベットに繋がれながら、

目は瞑ったまま、腕をブンブン振り回し、暴れていました。

ガーゼや点滴の管等を外してしまう恐れがあるとのことで、

繋がれているとのことでした。


そんな姿に、ただ一言、、、

「あ、生きてる」


そう言ったのを覚えています。



生きていることを確認した私は、

子供たちがどうなっているかも心配で、

義父義母にお願いし、

一旦家に帰ることにしました。


約2時間の運転の中で、

何度も涙が溢れてはパーキングに入り、

泣き、運転し、そしてまた泣いては止まり、、、


やっとのことで家に着くと、

夕方、子供達が帰ってきました。


二人とも玄関から入ってくるなり

わぁーー〜んと号泣💦


今日一日やっとのことで行ってきたと二人が泣きながら帰ってきました。



今話しても仕方ないけれど、

今後どんなふうになっていくのか、

心づもりがないときっともっと不安だろうと、

二人に話をすることにしました。


脳出血とくも膜下で手術を受け、

頭には大きなガーゼが貼られて、暴れていたこと


持ち帰ったスニーカーももう履けないこと、


そして、

今後のこと


多分寝たきりになるだろうと言うこと

そうしたら、

今のこの団地には住めないこと

仕事や収入がどうなるかはわからないけれど

あなた達はあなた達の夢や希望に向かって、

この出来事に捉われず、

自分のしたいことをしてほしい


と、、、


こんな時にそんなふうに言われても、

多分戸惑っただけだったと思います。


けれど、

介護福祉士として働いてきた私には、

先が見えていたので、

どのように動かなければいけないかが

大体わかっていました。


酷く落ち込むような現実を見たいくないと思うような事実もあるけれど、

今はとにかく、

この子達を不安にだけはさせたくないと


ならば、

前に進むためには

最低限わかっている話をしようと。


娘は話を聞いて、

「もう学校もダンスも全部やめるよ!!!

そう言いました。


「いや、それはダメ!続けなさい」


そこには

ただただ泣いている子供達がいました……






次回へ続く




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