ユダヤ人の経営論③|500円のコーヒーの価値

「お金持ちは何を見て意思決定しているのか」


「たった500円。」


今日は、前回と前々回に引き続き

Mさんから聞いた「500円のコーヒー」の話。

(前回までのブログ)
ユダヤ人の経営論①「頑張るんじゃない、経営しろ」

ユダヤ人の経営論② 脱・器用貧乏



Mさんが若い頃。
お金持ちのYさんに500円のコーヒーをご馳走になりながら、楽しく仕事の話をしていたときのこと。


お金持ちのYさんが、突然こう言った。


「この意味、わかる?」


「え?」

と戸惑うMさん。


するとYさんは続けた。

「この意味がわかる人がお金持ちになるんだよ。」




「今、僕は君に500円のコーヒーを奢った。」


「つまり君は、何も働かず、何も売らずに500円を得たってことだよね。」


「じゃあ、今の銀行金利で、何もしなくても500円を得ようと思ったら、いくら預金が必要だと思う?」


例えば、年に500円の利息を得るには約40万円。

毎月500円、つまり年間6,000円を利息だけで得ようと思ったら、約400万円〜500万円の預金が必要になる。


そしてYさんは言った。

「ということは、僕は君と話すこの時間に、それくらいの価値を感じているってことなんだよ。」




でも、多くの人はここで、


「ラッキー。500円浮いた。」

で終わる。


500円のコーヒーを、500円のコーヒーとしてしか受け取らない。




けれど、この話の本質はたぶんそこじゃない。


同じ出来事なのに、見えている世界はまるで違う。



500円を見るのか。

その向こう側にある400万円の価値を見るのか。



目の前の損得を見るのか。

その裏側にある”本当の価値”を見るのか。



その小さな見え方の違いが、

人との付き合い方を変え、

お金の使い方を変え、

選ぶ環境を変え、

やがて人生そのものを変えていく。





目の前の500円を追うのか、その先の価値を見るのか


目の前の500円しか見えない人は、一生500円を追いかける。

でも、その500円の向こう側にある400万円の価値に気づける人は、400万円の世界で意思決定をするようになる。


人生って、持っているお金の差よりも、

「何に価値を見出すか」の差のほうが大きい


だから私は、「いくらだったか」よりも、「そこにどんな価値があったのか」を考えられる人でいたい。


500円のコーヒーから、400万円の価値を見つけられる人でありたい。




世界を作っているのは誰? 一覧 「どうせ無理」が、一番高くつく。