大人になっても「直感を磨く」感性の蕾は、ひらける

私は12歳の頃から、美術系の私立女子校に通い、高校、大学と美術の世界の中で育ちました。


けれど、私の感性の原点はもっと幼い頃、母や祖母の影響、そして鎌倉で通っていた小さなアート教室にあります。


そこでは「教えない」という姿勢が、何より大切にされていました。


拾ってきた石に絵を描いたり、自分の体の輪郭をなぞって、その上に自由に色をのせたり。
「こうしなさい」ではなく、「これもいいんだよ?」という小さな種だけを渡してくれる場所でした。


子どもは本来、世界をそのまま感じる天才です。


けれど大人は、知らず知らずのうちにこう言ってしまいます。
「太陽は赤」「空は青」「こう塗るんだよ」と。


正しさを教えることは悪いことではありません。


でもその前にある「感じる力」「選ぶ力」「遊ぶ力」を、私たちは摘んでしまうことがあります。


私は美術学校に入るまで、「描き方」を習ったことがありませんでした。


入学して、興味のないモチーフを描くように言われた時、正直こう思いました。

「なんで?」「嫌だな」と。


でも、周りを見れば、皆もう何年も技術を積み重ねてきた人たち。
私は“うまく生きる”ために、少しずつ自分を抑え、合わせ、良い子でいようとしました。


その訓練の結果、ある程度「上手そう」な絵は描けるようになったかもしれません。


とても良い経験をさせてもらいましたが、ほとんどが心から描きたいものではなかったのです。


美に触れることは、本来、感性をひらくこと。


けれど「教えられすぎた感性」は、時に私たちを縛ります。


今、私はお茶という“生きた美”の中で、毎日それに気づかされています。


自分がこんなに硬くなっていたこと。
心も、体も、考え方さえも。
でも、気づいたらいいのです。


ただ見て、感じて、ゆるめてあげればいい。


感性の蕾は、大人になっても、ちゃんとひらきます。
直感は、取り戻せます。


そしてそれは、静かでやさしい喜びとして、また私たちの中に息づきはじめるのです。

茶道は型や流れに一定の決まりがあることは事実ですが、その中で縛られる自分になることはありません。


私のお茶の時間は、
「正しさ」よりも「感じる」を取り戻すための場所。


もし最近、
何かがズレている気がする
頭では分かるのに、心がついてこない
自分の感覚が信じられなくなっている


そんなふうに感じていたら、
一度、静かにお茶の時間を作りましょう。


感性の蕾は、ひらけます。
あなたのペースで、やさしく。

一覧 なぜ私は「教えるお茶」ではなく、「ひらくお茶」を選んだのか