2025.11.21
[臨書]第1章― 書の源に触れる学び
「守破離」における「守」は、先人の書をそのまま写し取る段階であり、
先人の書である「古典」をお手本にして書き写すことを「臨書(りんしょ)」と言います。
一見、“真似る”ことのようですが、そこには書道の奥深い世界が広がっています。
臨書は、古人の筆づかいや心に触れ、自らの書を育てていくための大切な修練。
今回は、臨書の意味とその本質について、講師としての視点から丁寧にお話しします。
■ 臨書とは何か ― 古典を通して書の原点を学ぶ
臨書とは、古代から現代まで受け継がれてきた名筆(古典)を手本として書く練習のことです。
筆の入り方や運び、文字の構成、そしてそこに込められた精神までもを“体で学ぶ”ことが目的です。
書道において臨書は、単なる技術の習得ではなく、書の「心」と「命」を感じ取る行為でもあります。
書家がどのような想いで筆を運んだのか、どんなリズムで呼吸をしていたのか――
古典に向き合うたびに、文字を超えた“人の息づかい”に触れることができるのです。
■ 「まねる」ではなく「学ぶ」ための臨書
多くの初心者が「上手に真似しよう」と思いがちですが、臨書の目的は“模写”ではありません。
大切なのは、「この線はなぜここで止まるのか」「なぜこの余白が生まれているのか」を感じ取ること。
つまり、形を追うだけでなく、古人の思考と呼吸を理解しようとする姿勢が何より大切です。
臨書を続けていると、次第に“線が変わる”瞬間があります。
筆の重み、墨の潤い、余白の呼吸――
それらを感じ取れるようになったとき、書は単なる「文字」から「命ある線」へと変化していきます。
■ 古典を学ぶことは、己を知ること
不思議なことに、臨書を重ねていくと、古人を写しているはずなのに“自分”が見えてきます。
筆づかいの癖、心の揺れ、集中の深さ――書は正直にそれを映し出します。
古典に向かいながら、自分の未熟さや成長を静かに感じ取る。
それこそが、臨書の醍醐味であり、書道が「心の修行」と呼ばれる所以でもあります。
■ 継続が育てる「観る力」
臨書を続けていくと、自然と“観る目”が育ちます。
最初は手本の形を追うだけだった視線が、次第に線の勢い・墨の濃淡・余白のリズムへと向かっていきます。
これは、単なる練習ではなく、書家としての“感性を磨く”時間です。
臨書を通して育つ「観察眼」と「感受性」は、創作や日常生活にも活きてきます。
心を静め、一筆一筆と向き合う時間が、やがて自分自身を深めていくのです。
■ まとめ ― 臨書は書の“入口”であり“原点”
臨書とは、古典を通して書の本質を学ぶ道。
技術的にも精神的にも、書を深めたい人にとって欠かせない修練です。
筆を持ち、古人の筆意を感じながら、一字一字と心を込めて書く――
その積み重ねが、やがて「自分の書」を生み出す第一歩になります。
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初心者の方でも、古典の楽しさや筆の魅力を感じながら、ゆっくりと上達していただけます。
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「書を通して心を整えたい」「臨書を基礎から学びたい」という方は、ぜひお気軽にご参加ください。
次回は、「第2章:絶対に学ぶべき古典と書家 ― 書の美の原点」
臨書を始めるなら、どの書家・古典を選ぶべきか?
初心者にもおすすめの古典をご紹介します。
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