2025.09.16
“ももな”に込めた想い③
昨年、、『ももなの継承』を認めてもらった私ですが、25年前の若かりし頃、店(当時は「ビワの葉温きゅう療法」でした)を構えようと決意し、その旨を母に報告したときは、浅はかな思いつきのような考えに見えた私を、こっぴどく叱りつけました。
普段から相談をしていれば違ったかもしれませんが、当時は、家族にこまごまと相談することがあまりなかったのです。
なぜ、店を構えようとしたのかを書くと、これだけでblog5回分くらいになるので、端折ります🙏(^0^;)
食事処ももな以前から百戦錬磨で働いてきた母から見れば、社会経験はそこそこ、経理も運営もやったことのない素人が、夢と理想だけで先を急ごうとして、数年後の失敗と借金しか想像がつかなかったと思います。
お小言が延々と始まり、また母の言うことがどれもこれも正論すぎて、私は言葉を挟む余地もなくただジッと聞いていました。
「あんたは商売を分かってない」
そのとき言われたなかで覚えている言葉は、最後に放たれたこのひと言だけです。
私はというと、シーンとなった瞬間、自然と「・・・ありがとうございます」と母に合掌したのでした。
そう言わなきゃという意図など1ミリもなく、手を合わせた自分に、自分が驚くという二重性。
母は、何も言わず、戸をぴしゃりと閉めて出ていきましたが、翌日顔をあわせると、「がんばってみなさい、応援するから」と言ってくれました。
とはいえ、母の応援は資金の援助など甘いものではなく、商工会主催の簿記3級コースの受講を勧めたり、店の手伝いや経理をさせること。
30代のこの経験が、野生ルイボス処ももなの運営など、決断するベースとなったことは間違いありません。
ももなを引き継ぐことの了承を得たということは、商売を少しは分かってきたなと思ってくれたのかもしれません。
もう真意を聞くことはできませんが。。。

数年前、母の畑にて(母の髪型がとんでもなくなっていたので、帽子乗せました(笑))