
保護者の皆様へ – 学習広場笠岡からのご挨拶
そんなある日、「子どもの貧困」という言葉に出会いました。
「学習広場笠岡」は、2017年1月に誕生しました。
本日は、この塾に込めた私の想いを、少しだけお伝えさせてください。
小学校高学年の頃、荒れていた地元の中学に進学するのが嫌で、中学受験を決意しました。隣町の塾に通い始め、本当は難関校である広大附属福山中学校に進学したかったのですが、不合格。合格した県内の私立中学校に進学することにしました。私立中学校に進学した私は、やがて家庭環境のストレスも影響し、勉強に身が入らず、非行に走るようになってしまいました。先生に反抗し、問題行動を繰り返す日々。私自身が避けたかった「問題生徒」そのものになっていたのです。
ある日、校長室に呼ばれた私は、先生から「お前は学校のゴミだ」とまで言われました。悔しさ、怒り、悲しみ…それらとも違う感情が私の中に芽生えました。そして、心の中で静かに思ったのです。「俺、先生になろう。自分のような生徒を生まないために、“良い先生”になろう」と。
中学時代はほとんど勉強をしていなかったため、最初は「三単現のS」と「複数形のS」の違いを知るところから再出発しました。それでも高校では英語の面白さにのめり込み、最終的には偏差値も大きく上昇。大学は北九州市立大学・外国語学部に進学しました。大学では充実した4年間を過ごし、卒業後は教員としての道へ。初任校では1年目に高校の副担任、2年目には中学1年生の担任を任されました。しかし、学校改革による激務と職場の混乱のなかで、私は心身の限界を迎えてしまいます。朝起き上がることができず、診断は「うつ病」。その日を境に、記憶がほとんど残っていません。
支えてくれたのは妻でした。生活費のやりくり、育児、そして何より、私の存在を否定せず、温かく見守り続けてくれたことに、今でも感謝してもしきれません。
病状が落ち着いたころ、再び教育の世界に戻りたいと思い、塾で働き始めましたが、当初は感情のコントロールができず、退職してしまいます。それでもあきらめず、別の塾に就職。そこでは試行錯誤しながらも何とか職務を継続し、ついには教室長として運営にも関わるようになりました。ここでの7年間は、塾業界の仕組みを学ぶ大きな転機となりました。
そんなある日、「子どもの貧困」という言葉に出会いました。
日本では、7人に1人の子どもが相対的貧困の状態にあり、毎日の食事すら満足にとれない子や、塾に通いたくても通えない子、進学を希望しても家族のために働かざるを得ない子どもたちがいることを知りました。
この現実を前に、「なんて理不尽なんだ」と胸が締め付けられました。塾で学べる子どもがいる一方で、経済的な理由で夢を諦めなければならない子どもたちもいる。その状況を、少しでも変えたいと強く思ったのです。
そこで私は、当時勤めていた塾の社長に相談し、土曜日を休みにしてもらいました。目的は、自宅で格安の塾を開くこと。1回120分・250円という料金であれば、経済的に塾に通えない子どもたちも安心して通えるのではと考えたのです。こうして2014年、「学習広場笠岡」という非営利団体が誕生しました。
町内の回覧板や市の広報誌、ケーブルテレビで広報を行い、生徒は少しずつ集まってきました。しかし、肝心の「本当に困っている子どもたち」が集まらなかったのです。もしかしたら笠岡市にはそうした子どもたちがいないのかもしれない、とも考えました。
250円の塾を2年間続けたあと、その理由がわかる出来事がありました。ある保護者の方から、こんな声をいただいたのです。
「1回250円、とてもありがたいです。でも、私たちは生活に困っていることを周囲に知られたくなくて、子どもを通わせるのが怖いんです。子ども自身も、知られることを恐れているんです。」
私は大きなショックを受けました。何がショックだったかというと、本当に困っている方々の気持ちを、私は深く考えずに行動していたことでした。
この250円塾の活動と並行して、倉敷市の児童養護施設で学習支援も行いました。2年間の経験から私はひとつの確信に至りました。
「私は“普通の塾”を起業しよう。そしてしっかりと利益を出し、その一部を貧困の子どもたちや児童養護施設に寄付しよう。そうすれば、持続的に支援ができる。」
この想いのもと、2017年に勤務していた塾を退職し、現在の「学習広場笠岡」を立ち上げました。最初の生徒は1人。アルバイトを掛け持ちしながらの生活のスタートでした。
この塾の名前には、次のような意味が込められています。
「学習」には、自ら学び成長する力を育てる意味。
「広場」には、子どもたちが自然に集まり、安心して過ごせる場所でありたいという願い。
そして「笠岡」は、私の祖父母が住んでいた、大好きな町の名前を入れたかったからです。
皆さまのおかげで、現在では安定して利益を得られるようになり、少額ながらも寄付を継続できるようになりました。もちろん、私ひとりの寄付で社会を大きく変えることはできないかもしれませんが、それでも続けていくことで、誰かの未来を少しでも後押しできればと願っています。
さいごに。
生徒によく聞かれる質問があります。「なぜ勉強する必要があるんですか?」と。
将来困らないため、夢を叶えるため、という答えもあるでしょう。でも問題は、「勉強の意味が見いだせない」と感じている子どもたちです。
近い将来、2045年には『シンギュラリティ(技術的特異点)』が訪れ、人工知能が人間の知能を超えると言われています。その時、お金の概念や働き方が大きく変わり、人間は「自分が何をして生きていくのか」を問われる時代になるかもしれません。
仮に明日、宝くじで6億円が当たったとしても、私はたぶん、次の日も変わらず塾で授業をしていると思います。教えることが楽しく、誰かの力になれることに喜びを感じているからです。
だからこそ、私は今の子どもたちに伝えたいのです。
「君が今、勉強しているのは、将来“お金がなくてもやりたいこと”を見つけるためなんだ」と。
10代はその可能性を探る、最大のチャンスです。
ぜひ多くのことに触れ、学び、自分の世界を広げてください。
株式会社 学習広場笠岡
代表取締役(塾長) 岡田淳芳
代表取締役(塾長) 岡田淳芳
