會田からのご挨拶と十勝の地を選んだ理由
【會田からのご挨拶】
こんにちは。院長の會田(あいた)と申します。旧あおやま内科クリニックの跡地を継がせて頂く事になりました。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
こんにちは。院長の會田(あいた)と申します。旧あおやま内科クリニックの跡地を継がせて頂く事になりました。
10年以上この地域の健康を支えてこられた青山 徹先生に心から感謝し、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
「医療の谷間へ灯(ひ)をともす」
我が母校、自治医科大学の校歌の中で一番好きな一節です。
まさに「医療の谷間」となったこの地に、青山先生には遠く及ばずながらも、もう一度、医療の灯をともすお手伝いをさせて頂きたい。そんな想いで開業を決意しました。
自己紹介ですが、みなさんに簡潔に分かりやすくお伝えする言葉はないか、と色々考えました。
考え考え、一番しっくりきた言葉は「野良医師」でした(笑)。
特に優秀でもエリートでもありません。
一般の大学を卒業後、工事現場やテント屋、飲食業や営業職、海外放浪などなど。様々な土地で、様々な方と、働き、遊び、飲み、語り、悩み、学び、苦しみ、笑い…そんな素敵な日々の経験から、よりよい地域づくりのため自分にできる事の輪郭が見え始め、医学部に再入学した野良医師です。
あちこち回り道をしたお陰で、医療業界ではない方にとって、どんな医療用語が伝わりにくいのかは痛いほど理解できます。そんな野良医師ならでは(?)の分かりやすい説明や、病状を聞き出す力(傾聴力)はありがたい事に一部の患者さんからはご評価頂いております。
この力がみなさんの元気と笑顔に貢献できる事を祈りつつ、真摯に診療させて頂きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
【十勝の地を選んだ理由】
僕は予防医学実践のモデルケースを創るために十勝へ移住しました。
【十勝の地を選んだ理由】
僕は予防医学実践のモデルケースを創るために十勝へ移住しました。
多くの人に「なぜ十勝?」と質問されることが多々あります。ですが、僕は十勝こそ予防医学の文化を広めるために最も適した地域だと確信しています。
予防医学は「未来の健康のために、今の生活を整える」という医学です。
これを実践できる人には、ある特徴があります。
それは、「未来の結果のために、今努力できる人」です。
色々な地域で診療をしてきましたが、漁師町の人よりも農家町の人の方が生活習慣改善に成功しやすい傾向があります。漁業は、魚が獲れるかどうかが自然条件に大きく左右される仕事。一方で農業は、来年の収穫のために、今の土づくりや管理を続ける仕事です。
すぐに結果が出なくても、未来の収穫を信じて努力を続ける職業。つまり農家の方々は、日々の仕事そのものが「予防医学の思考」に近いのです。未来の結果のために、今できることを積み重ねる。
これはまさに予防医学の本質です。
そして農家町の中でも、特に十勝はレベルが数段高いと感じることが多くありました。
例えば日々の検査の結果をお伝えしたときのことです。「今回、中性脂肪が少し高いですね」とお話ししただけで、「あ、先生分かった!たぶん、孫が遊びに来てて、一緒におやつとか食べたりしていたからだわ。気を付けて過ごすから、次回また採血で確認してもらえる?」と。
びっくりしました。
問題の原因を自分で推測し、状況を分析し、改善プランまで自分で考えて、提案してくる患者さんなんて初めてでした。医療者が指示する前に、自分で考え、自分で行動する。このような方が時々いらっしゃるのです。
「なぜ十勝の人はこんなに主体的なのだろう??」ずっと不思議でした。
その問いを胸に、日々生活を送っていた時に知ったのが、依田勉三の存在でした。
十勝は、日本の多くの地域とは少し違う歴史を持っています。この土地は、国主導の屯田兵が開拓した地域ではありません。民間の人々が、自らの意思で切り開いた土地です。
その中心人物の一人が依田勉三でした。彼は晩成社という団体を率いて、まだほとんど人が住んでいなかった十勝の地に入植しました。
当時、周囲の人々は強く反対したと言われています。「そんな場所で生きていけるはずがない」と。しかも彼らには国の後ろ盾もありませんでした。資金も、保証も、成功の約束もない。それでも彼らは北海道の開拓に人生を賭けました。
冷静に考えれば、極めて無謀で、ある意味ではクレイジーな挑戦とも言えるでしょう。それでも彼らは自分の描いた「理想の未来」を諦めませんでした。自分の頭で考え、自分で決断し、何の保証もない未来に向かって行動したのです。
周囲がどう言うかよりも、自分がどう考えるか。
前例があるかよりも、自分が必要と感じるか。
自分の人生を、自分の頭で考え、自分で決断し、自分で行動する。
十勝人は、そんな世界に誇る開拓者達の末裔なのです。
予防医学は、まだ日本では当たり前の文化ではありません。
「病気になってから病院に行く」という考え方が、まだ社会の中心にあります。
だからこそ予防医学を広めるには、周囲の常識に流されず、新しい考え方を受け入れ、自分で行動できる人たちの存在が必要です。
その意味で、十勝という土地は特別な場所です。
開拓者の精神を受け継いだ人々が暮らし、未来のために今努力する文化が根付いている。
僕はこの十勝から予防医学の文化を創り、育てていきたいと思っています。
現在の十勝は、当時依田勉三の頭の中にのみ存在した「理想の未来」そのものです。
「未来の健康のために、今の生活を整える」
「その考え方が、この土地から広がり、日本全体、そして世界に伝わっていく」
将来の十勝は、いま僕の頭の中にある「理想の未来」に、ちょっとくらいは、なっているはずです。
予防医学は「未来の健康のために、今の生活を整える」という医学です。
これを実践できる人には、ある特徴があります。
それは、「未来の結果のために、今努力できる人」です。
色々な地域で診療をしてきましたが、漁師町の人よりも農家町の人の方が生活習慣改善に成功しやすい傾向があります。漁業は、魚が獲れるかどうかが自然条件に大きく左右される仕事。一方で農業は、来年の収穫のために、今の土づくりや管理を続ける仕事です。
すぐに結果が出なくても、未来の収穫を信じて努力を続ける職業。つまり農家の方々は、日々の仕事そのものが「予防医学の思考」に近いのです。未来の結果のために、今できることを積み重ねる。
これはまさに予防医学の本質です。
そして農家町の中でも、特に十勝はレベルが数段高いと感じることが多くありました。
例えば日々の検査の結果をお伝えしたときのことです。「今回、中性脂肪が少し高いですね」とお話ししただけで、「あ、先生分かった!たぶん、孫が遊びに来てて、一緒におやつとか食べたりしていたからだわ。気を付けて過ごすから、次回また採血で確認してもらえる?」と。
びっくりしました。
問題の原因を自分で推測し、状況を分析し、改善プランまで自分で考えて、提案してくる患者さんなんて初めてでした。医療者が指示する前に、自分で考え、自分で行動する。このような方が時々いらっしゃるのです。
「なぜ十勝の人はこんなに主体的なのだろう??」ずっと不思議でした。
その問いを胸に、日々生活を送っていた時に知ったのが、依田勉三の存在でした。
十勝は、日本の多くの地域とは少し違う歴史を持っています。この土地は、国主導の屯田兵が開拓した地域ではありません。民間の人々が、自らの意思で切り開いた土地です。
その中心人物の一人が依田勉三でした。彼は晩成社という団体を率いて、まだほとんど人が住んでいなかった十勝の地に入植しました。
当時、周囲の人々は強く反対したと言われています。「そんな場所で生きていけるはずがない」と。しかも彼らには国の後ろ盾もありませんでした。資金も、保証も、成功の約束もない。それでも彼らは北海道の開拓に人生を賭けました。
冷静に考えれば、極めて無謀で、ある意味ではクレイジーな挑戦とも言えるでしょう。それでも彼らは自分の描いた「理想の未来」を諦めませんでした。自分の頭で考え、自分で決断し、何の保証もない未来に向かって行動したのです。
周囲がどう言うかよりも、自分がどう考えるか。
前例があるかよりも、自分が必要と感じるか。
自分の人生を、自分の頭で考え、自分で決断し、自分で行動する。
十勝人は、そんな世界に誇る開拓者達の末裔なのです。
予防医学は、まだ日本では当たり前の文化ではありません。
「病気になってから病院に行く」という考え方が、まだ社会の中心にあります。
だからこそ予防医学を広めるには、周囲の常識に流されず、新しい考え方を受け入れ、自分で行動できる人たちの存在が必要です。
その意味で、十勝という土地は特別な場所です。
開拓者の精神を受け継いだ人々が暮らし、未来のために今努力する文化が根付いている。
僕はこの十勝から予防医学の文化を創り、育てていきたいと思っています。
現在の十勝は、当時依田勉三の頭の中にのみ存在した「理想の未来」そのものです。
「未来の健康のために、今の生活を整える」
「その考え方が、この土地から広がり、日本全体、そして世界に伝わっていく」
将来の十勝は、いま僕の頭の中にある「理想の未来」に、ちょっとくらいは、なっているはずです。