アートで世界を元氣に!

                   【ネオ・縄文絵巻~時空の羅針盤~】

ネオ・縄文絵巻
現在4つの絵で構成されており、1つの絵がF20号(730mm×605mm)。

連続する大迫力の"ネオ・縄文ワールド"!(この絵巻は今後更に展開して行きます)

縄文土器を巨大でカラフルに!そんな野望が遂に実現しました。

一つ一つの絵がそれぞれに完結したイメージを持ちつつ、更に繋がり合うことで展開する圧巻のビジョン!

そしてこの絵巻の神髄は見た目のユニークさに非ず、実のところこの作品群はサブタイトルに”時空の羅針盤”とある通り、これからの人類のアセンション(次元上昇)のガイドブックとしての機能があります。

それぞれの絵に刻印された暗号的ストーリー、そして全体が表す人類のアセンションストーリー

この未来の物語は、この装置を観る人の魂の中で、その人の潜在意識が持つ叡智と結合することによって完成する仕組みになっています。

驚くべき大調和と豊かさ、そして時空を超えた超宇宙へと開かれたネオ・縄文という扉!

貴方の持つ、無限の力が花開く、この絵に出会ってしまったが最後...

ようこそ光の神々の世界へ...
ネオ・縄文絵巻その一”人類最後の砦”
【ネオ・縄文絵巻その一 ~人類最後の砦~】
その昔、私たち人類の先祖は自然界と調和し生命は喜びに満ちていました

所有という概念や優劣をつける感覚はなく、意識を使った高度なテクノロジーを有し

全てが一つの愛という、美しい音楽のような世界で生きていました

現代人はこの素晴らしい時代を“縄文時代”と呼びます

その後、テラ(地球)を取り巻く宇宙の季節は変わり、テラを包み込む音の波は徐々に重く粗い振動数へと変化していきました

そして、最終的にテラの音は酷いノイズにまみれて、あらゆる生命の水の振動は破壊され様々な病氣や、エゴと呼ばれる元一つの生命の愛からの分離の音波を放射するようになりました...

全体性からの分離の極み、そしてエゴに蝕まれる人類の精神、すべては輝きを失い、人間は生きることの意味や純粋な喜びの状態を完全に忘れてしまいました

そんな時代のある日の晩に、一人の少年が夢であるビジョンを観ました、それは且つて人間が皆、自然と調和し途轍もなく豊かで幸せに生きていた“縄文時代”のイメージでした

そして彼は、この荒廃した世界のどこかにまだ、その縄文的な生き方を取り戻す片鱗があることを直感して、世界中を探し回りました...

どこまでもどこまでも、彼は自分の観たビジョンと直感だけを頼りに探しました

いくつもの山や谷、町や夜を超えて、彼は探し続けました...

彼は決して諦めませんでした

そしてどれくらいの月日が経った頃でしょう?

日本列島の中心辺りにとても静かで美しい山々、透き通る水と輝く空氣、彼は八ヶ岳と呼ばれる土地に辿り着きました

そして遂に彼は自分の探していたモノを見つけたことを直感しました!

そうです新しい時代の雛型、ネオ・縄文という人類最後の砦を...
ネオ・縄文時代の重力場
【ネオ・縄文絵巻その二 ~ネオ・縄文時代の重力場~】
本来、時間と空間というものはとても柔軟であります
そして、その時空の振動数というのは人間の意識によって決定するように創造主が法を定めました

つまり目に見える現象世界というものは、単に人間の思考が投影されたスクリーンに過ぎないということ

意識が軽ければ、世界の重力は軽く、その逆もまた然り...

遠い過去のどこかの時点に於いて、この時空の秘密を知っていた少数の人類がその他大勢の人類に対して、この世界は重く苦しみに満ちた場所であることを吹き込んだことにより、純粋だった大衆はこの世界の重力は重く、生きることは苦しみであるという風に観察し始めました(いわゆる原罪とよばれるもの)

その結果、テラ(地球)の重力は重くなり、その重さは数万年に及び維持されることになりました...

この重力を重くし、人類から生きる喜びや世界を美しいものとして観察する愛の感覚を奪い、一部の人たちが世界の支配権を持つために創り上げたシステムのことを宗教と呼びます...(本来の宗教からかけ離れてしまった)

しかし、この受難のプロセスは人類の集合意識が自らの自由意志に基づく選択により選んだことも事実でした
なぜならば、本当の自由や生きる喜び、そしてこのテラという創造主による究極の芸術作品の本当の素晴らしさを知るためには、一度その逆の体験をして、不自由による感情を知る必要があったからです
​​
この世界の全ての物事には極性(二元性)というバランスがあり、人間に宿る神(スピリット)はその両極の全てを体験して、自分の中に光も闇も両方あり、その両方を自己の中で統合するためには”無条件に愛することしかない”という真実の果実を収穫するために私たちは自らこの世界にやって来ました

そして、天空を旅する惑星たちが刻む時の輪が、いよいよ極性の学びを終えた人類が次なる体験の舞台へと進化する時を知らせるべくラッパの音を鳴らしました

極性の振り子の中にあっては、人間は無から何かを生み出すという本来の力を発揮することが出来ないでいました
なぜならば、光に偏れば闇に対する価値判断がうまれ、高き者は低き者を卑しいと罵ります

しかし本当の創造を行うためには、自己の内側が一つに統合された状態でなければ創造主からの祝福はいただけません

愛のみが全ての分離や極性という幻想の闇を溶かし、創造主の祝福を受け取るに値する正しい態度であります

そして、遂に人類はこの祝福を受容するに値する意識の状態にたどり着きました...

究極の創造は愛に満ちた軽やかな心でのみ実現できるもの
【ネオ・縄文絵巻その三 ~神々の帰還~】
且つてこのテラには、はるばる遠くの銀河から旅をしてきた沢山の種族たちが居ました
彼らは驚くべきテクノロジーを持っており、また種族ごとにとても際立った個性を持っていました
彼らは後に神々と呼ばれるようになった存在たちです

中には破壊的な種族も居ましたが、ほとんどの種族は友好的でこの星をより素晴らしい場所にするために自分たちの持つ個性的なテクノロジーを駆使して、新しく無数の生命を創り出し、自らの創造物がこの星の環境に於いてどのように進化し、また他の生命たちと関係性を築いていくのかをワクワクしながら観察していました

そして、これらの実験は時には失敗作もあったけれど、ほとんどの創造は上手くいきこの星の海や山、草原に空とあらゆるところにユニークで愛らしい生命たちが存在していました

どの神々も本当に喜んでいました

そしてある時、ある神々が創造した猿のような生命体に、また別の青い神々が更なる改良を加える実験を行いました

二度失敗しましたが、三度目にようやく成功し、今までこの星で見たこともないほど美しく、素晴らしい機能性を備えた生命体が誕生しました

これが後に人間と呼ばれる存在になりました

聖書に”神は自分の姿に似せて人間を創造した”とある通り、人間は人間を創造した神々にそっくりでした

青い神々は自分たちの成しえた快挙に大喜びしました

しかし、この快挙を他の一部の神々は快く思いませんでした
なぜならば、自分たちの創造性を遥かに超える創造を目の当たりにしてしまったから...

しばらくはどの神々もこの美しい人間という生命体の様子を観察していました
人間は少しずつ環境に慣れていき、他の動物たちとは違って体験に基づいて自分たちで自由にテラの環境を変えて行きました
間違いなく人間はこの星で唯一自分たちの頭で考え、より良いことを創り出していける生命体として確立して行きました

人間を創造した青い神々は、人間がもう少し進化したタイミングで、本来の機能性を発揮できるように人間たちに脳や意識の使い方を教える準備をしていました

そんなある時、人間を創造した青い神々に嫉妬していたある神々が、青い神々にとても酷い意地悪をするようになりました
その意地悪はとても陰湿で耐え難いものでした

そんな意地悪が続く中、遂に青い神々はあまりにも酷い意地悪に嫌気がさして、準備していた我が子への教育を成し遂げることなく、自らの星へと還って行ってしまいました...

その結果として、人間は何十万年経っても自分たちの中に備わっている素晴らしい力の使い方を知らないまま、あてどなく地上とあの世をグルグルと輪廻する羽目になりました..

しかし、時の輪がめぐり遂に青い神々が再びテラへと帰還しました...


【ネオ・縄文絵巻その四 ~ネオ・縄文の空中都市~】

​人間とはどのような時、幸せを感じるのでしょう?

今までの人類の歴史に於いては良くも悪くも様々な制約やルールが有り過ぎました

ただ生きているだけなのに、ただ呼吸をしているだけなのに日々何かしらお金がかかったり、​ここまでは良いけどここから先は入ってはいけないとか、この書類がないからダメとか、世界は完全にノイローゼになっていました

自然界を観察したときに、草花や木々、昆虫に動物たちはみんな何の制約もなく、鳥は身体一つで何も持たずに自由に空を飛び回り、魚は明日の支払いに心悩ませることなく大海原で気ままに遊んでいます

この宇宙には確かに創造主が定めた法というものがあります
本来的にそれ以外には何の制約もなく、逆に自由意志に基づいて未知を既知にし続けるというある種の自由法だけがありました

そして、創造主が定めた最幸の法とは”無条件の愛”というものでした

ネオ・縄文の人々は長きに渡る人類の経験値から、無条件の愛という最幸の法に基づいて自分たちが豊かで幸せに暮らすために叡智を結集して、とても軽やかな意識によって空中に浮く、素晴らしい空中都市を創造しました

彼らは意識がとても進化している為、家族だけだったり、場合によっては一人でも充分豊かで幸せに暮らすことができました

しかし、彼らはみんなで共に暮らすことを選択して、驚くべき素晴らしい空中都市を創造しました

且つての人類に於いては、このようなコロニーを創造したとしても必ずやもめ事が起きたり、自己の利益を貪る存在が現れて、みんなが平和で創造的に生きていくことが出来ませんでした...

でも現在はどうでしょう?
ご覧の通り、ネオ・縄文の人々は何の争いもなく、皆とても調和的で創造性に満ちた生活を送っています

でもなぜ彼らは敢えてみんなで一緒に生きることを選択したのでしょう?

その答えはただ一つ!

創造主が定めた最幸の法である”無条件の愛”というのは、その愛を受け取ってくれる愛手がいることによって、その喜びが10倍にも100倍にもなることを彼らは知っていたからです!

私たちは元々一つの神という生命の家族だから...
​つづく...