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なぜ私は「ビジネスリーダーのための司令塔道場」を始めるのか

「投げ込め」と言われ続けた日々

私の投げるボールは、いつも失速していた...


大学でアメリカンフットボールを始め、クォーターバックを任された私は、先輩たちから毎日のように「もっと投げ込め」と言われ続けた。

言われた通り、投げて、投げて、投げ続けた。それでも私のボールは鋭く飛ばず、どうすればいいのかも分からないまま、ただもがいていた。


転機は、根性ではなく体の使い方を教えてくれる、一人の恩師との出会いだった。そしてある日——私の投げたボールが、思い描いた軌道のまま、スパッと飛んだ。

その瞬間を見てくれていたコーチが、叫んだ。


「Good Job SHINJO !!」


鳥肌が立った。あのとき私は、生まれて初めて思えたのだ。

自分の可能性を、もっと信じていいんだ、と。


その体験が、すべての始まりだった。

以来、私はアメフト一筋。選手として、コーチとして日本一を5度経験したが、その過程で数え切れない挫折もした。

それでも辞めなかったのは、あの日の「Good Job SHINJO !!」が私の中で響き続けていたからだと思う。


1000人の司令塔を育てて

トップチームのコーチを退任した2011年春、私は「QB道場」を立ち上げた。かつての私のように「うまくなりたい。でも、どうしていいか分からない」ともがく若者たちに、私が受け取ってきたものを手渡す場所だ。

それから15年。僕は1000人を超えるクォーターバック=チームの司令塔を育ててきた。

挫折だと思っていた経験は、教える立場になった瞬間、すべて財産に変わった。自分の可能性を信じられていなかった選手が、信じられるようになって生き生きと輝く。その姿を見ることが、私の何よりの喜びだった。


50代、立ち止まった私

だが、その道の途中で、私は立ち止まることになる。

50代も半ばに差しかかり、体力の衰えを感じ始めた。教え子たちとの年齢差は開いていく一方だった。そして何より、自分の肉体も、残された時間も有限なのだという当たり前すぎる事実を、初めてリアルに感じていた。

このまま、これを続けていくのだろうか。いや、続けたいのだろうか。

 

私には「QB道場」という道ともう一つ、「声」の道があった。

出会いは、思いがけないものだった。仕事で訪ねた、あるボイストレーナーのアトリエ。「いい声を出すには、何が大事なんですか」と尋ねた私に、彼はこう答えた。

「背骨と、肩甲骨と、股関節です」


思わず、返していた。「それ、アメフトと全く同じです」。

息が詰まれば、いい声は出ない。そして息が詰まれば、いいボールも投げられない。声が響く身体の条件は、QBが思い描いた通りのプレーをするための条件と、驚くほど重なっていた。

身体を調え、呼吸を調えることで声の響きが調える。さらに心も調うことで、人は本来の力を発揮できる——その奥深さに惹かれて学び続けるうちに、私はボイストレーナーとしても活動するようになっていた。

そして、「腹から声を出せ」と言われ続けてきた人が、体をほぐし、呼吸を深め、生まれて初めて自分の声が心地よく響く体験をする瞬間を、私は何度も見てきた。その瞬間、その人の目の色が変わる。それは、大学生時代のあの日に私に起きたことと、まったく同じだった。

だからこそ、迷った。声の道にすべてを振り切るべきなのか。しかしそれでは、30年を超えるアメフトの日々を置き去りにすることにならないか。

自分は、一体何者なのか。

焦りとモヤモヤを抱えたまま、私は自分の人生を、何度も棚卸しした。

司令塔は、フィールドでない場所にもいる

そして、ある日、見えたのだ。

私がずっとやってきたのは、アメフトを教えることではなかった。

司令塔を、育てることだった。


司令塔は、アメフトのフィールドの上だけにいるのではない。ビジネスの世界のリーダー達も、みんなそれぞれの現場で戦う司令塔だ。

プレッシャーの中で状況を読み、決断し、仲間の力を引き出す。私が千人のQBに伝えてきたこと、そして彼らがチャレンジする姿から私が学んできたことは、そのまま、ビジネスの最前線で戦うリーダーたちにも届けられる。

「声」の道も、ここに繋がった。体を調え、心を調え、声と言葉を磨くことは、リーダーが「自分を信じて」「仲間を巻き込む」ための最も具体的な実践だ。

バラバラだと思っていた私の二つの道は、最初から一つだった。

私は、司令塔育成のスペシャリストである。


だから私は、始める

振り返れば、これもまた「自分の可能性を信じる物語」だった。人は、いくつになっても、自分の可能性を信じ直すことができる。私はそれを、私自身の人生で証明してきた。

だから私は、始める。普段は別々の現場で戦うリーダーたちが集い、弱音も失敗も分かち合いながら共に強くなっていく場所。

あの日の私が「「Good Job SHINJO !!」 の一言で変わったように、あなたが自分の可能性を信じ直す、その瞬間のための場所。

ビジネスリーダーのための司令塔道場。


ここから、私の新しい挑戦が始まる。

そして、あなたの挑戦も。



<年表と経験>


1968年 

大阪・堺で生まれる。


1981年 

P L学園中学校に入学し高3まで寮生活。

ガリガリ、ど近眼、地黒、坊主頭でニックネームは「ガンジー」。

体育平均点以下、軟式野球部補欠で一度も試合に出ないまま途中退部。


1987年 

関西大学でアメリカンフットボールを始める。

P L出身という理由だけでアメフトの司令塔であるクオーターバックに抜擢されてしまう。

大学3年生、小学生ソフトボール以来のレギュラーポジションを獲得し、チーム悲願の一部リーグ復帰に貢献。

<人生で初めて「人(チームメイト・OB・ファンなど)の期待を背負いながら、大きな事をやり遂げた」体験>


1991年 

バブル絶頂期にリクルート事件直後の(株)リクルートに入社。

社会人1部リーグ昇格間もないリクルートシーガルズに入団。

アスリートとしての意識が低すぎるチームに衝撃を受ける。


1992年 

リクルートシーガルズでクーデター発生。

選手がヘッドコーチを退任に追いやり、新ヘッドコーチが誕生。

ハワイ大学出身の新ヘッドコーチの就任がキッカケとなり、チームが成長曲線に乗り始める。

練習を休むことが多かったチームメイトが、新ヘッドコーチのチームビルディングのさまざまな施策によって心が動き、「自分から練習に来たくなる」現象が起きた。

<チームビルディングの価値を強く実感した体験>


1996年 &1998年 

リクルートシーガルズの一員としてアメフト日本一を達成。


1999年 

営業マンとしてボイストレーニングの師匠・楠瀬誠志郎と出会う。

「良い声に大切なのは背骨と肩甲骨と股関節」という師匠の言葉を聞いて、アメフト選手としての成長のヒントを求めてボイストレーニングを始めた。


2000年 

(株)リクルートを退職。

アメフト選手として、アサヒ飲料チャレンジャーズに移籍し、自身3度目の日本一。

リクルートシーガルズとは全く違うスタイルのチームビルディングで日本一を達成したヘッドコーチの元でプレーした経験が、その後のコーチとして、研修講師としての活動に大いに活かされた。

しかし自身はシーズン途中で干されて新人にポジションを奪われ、当時はとても悔しく、しんどかった。


2001年 

チームは社会人選手権連覇を達成するも、プレーヤーとしての全ての自信を失い、イップスになって逃げるようにチームを退団。

シーズン終了後、現役生活を完了させる道を模索し、アメリカプロリーグへの挑戦を決断。


2002年  

アメリカのマイナープロリーグ挑戦スタート。

日本ではアメリカンフットボールのコーチを始める。

チーム内の誰もが可能性を感じていなかったクオーターバックをチームのエースに育て上げてチームの社会人日本一に貢献。

<「選手(部下)の苦手を捨てて得意を活かす育成」「選手(部下)の可能性を信じて託すこと」で選手(部下)の能力を開花させたマネジメントの初体験>


2004年

3シーズン、7チームを渡り歩いた末、遂にアメリカプロリーグデビューを果たす。

3シーズンでベンチ入り登録1試合。出場3プレー。1タッチダウン。渡航費・滞在費は数百万円で通算獲得報酬は僅か175ドル。

<しかし、様々は人に支えられ、時には裏切られ、自分がやれることはすべてやり切った3シーズンの経験は人生においてはプライスレス。めちゃくちゃ面白い本を書ける自信あります(笑)>



2005年

クオーターバックコーチとして初めての日本一。

大学時代無名だったクオーターバックがシンデレラボーイと呼ばれてMVPを獲得する大活躍をサポート。

ボイストレーナーとアメフトコーチのダブルワーク開始。


2009年

アメフトコーチとして副社長的ポジション(オフェンスコーディネーター)で大失敗。

チームを迷走させ、自他共に認めるA級戦犯としてシーズンを通じて強い批判を浴び続ける。

<組織の命運を担うリーダーの強烈なプレッシャーや孤独を体験。職人としての能力と、マネージャーとしての能力がまるで別物である事を理解し、体感した経験>


シーズン終了後、マネジメントを学ぶ為に、スタンフォード大学のコーチに弟子入り。アメリカンフットボールの一流コーチからだけでなく、ミュージカル女優や指揮者との面談など、エンターテイメントの世界の一流からも様々な学びを得た。


2010年

コーチとして2度目の日本一を達成。

針の筵(むしろ)状態で迎えたオフェンスコーディネーター2年目。

シーズンファーストミーティングの準備に全身全霊を注いで「ビジョン」をプレゼンテーションし、潮目が大きく変わる。

そのシーズン、コーチとして2度目の日本一を達成。

<「メンバーがワクワクし、誰よりもリーダー自身がワクワクするビジョンを描くことメンバーを巻き込む」ことの大切を痛感した体験>



シーズン終了後、「命懸けでやった仕事で達成した日本一」に安堵感しか得られない自分の心と向き合い、長年温め続けていた「 QB道場」を起業する事を決意し、日本一を達成した1週間に退団。


2011年

日本初のアメリカンフットボールの司令塔・クオーターバックを育成する「QB道場®︎」を起業。

15年で1000人以上の司令塔の成長をサポート。



2019年

ブラインドサッカー男子日本代表のボイストレーナーに就任。

「ブラインドサッカーは声の力で守備の戦術を変えられる」という高田監督のビジョンに共鳴。

視覚障害のある選手達とのコミュニケーションの壁にぶつかりながら、「ブラインドサッカーのピッチ上で声の力を戦術的に機能させる」という、監督でさえもどうすれば出来るのかが分からない「新規プロジェクトのリーダー」として悪戦苦闘。

中間管理職、プロジェクトリーダーとして、監督・ヘッドコーチ(上司)、選手(部下)、他ジャンルの専門コーチ(他部門リーダー)の持つリソースを借りまくり、PDCA回しまくりの末、日本代表がパラリンピック東京大会のピッチで「声の力を戦術的に機能させる」ことに成功。微力ながら5位入賞に貢献。


2025年

身体・呼吸にアプローチする事でマインドセットを調えることを土台とする発声法・コミュニケーショントレーニングと、

アメリカンフットボールのプロコーチとしての人材育成・マネジメント経験を融合させた研修・ワークショッププログラムで、人が自分の可能性を信じられるようになり、 周囲の人や組織にポジティブな影響を与えられる存在になることに貢献する活動を本格的にスタート。


2026年

自身の活動をより多くの方に知って頂くための発信の場として、

・新生剛士オフィシャルウェブサイトをカットオーバー

・音声配信「新生剛士の禅ボイス®︎ラジオ」をSpotifyとYouTubeでスタート



◉Spotify「新生剛士の禅ボイス®︎ラジオ」

https://open.spotify.com/show/033fhU3pX7HZvbSkz13kb8?si=7eM_Eir4Qy2UpcuXIuG5vA


◉YouTube 「新生剛士の禅ボイス®︎ラジオ」

https://youtube.com/@zenvoiceradio?si=99T6LnAc9vXn4fp0



★関連記事★


アントレ<2018年6月>

「ビジョンが人を動かす。クオーターバック専門道場代表に聞く、優れた指揮官の定義」

https://entrenet.jp/magazine/14673/


TOKYO MX+「ブラインドサッカー日本代表を支えたボイストレーナー」<2021年10月>

*ブラインドサッカー日本代表での活動を取材して頂いた記事

https://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/202110221700/detail/


NPO法人コーチ道リレーインタビュー<2020年9月>

*スポーツコーチが学び合える場「コーチ道」のインタビュー記事

https://coach-do.com/interview/24-1/