ABOUT

私自身が、「人の可能性は開花する」ことの証明です
その昔、高校時代の私は、決してリーダータイプではありませんでした。
体育の成績は平均以下。
軟式野球部では補欠のまま退部。
自分に自信を持てず、「人を引っ張る存在になる」など想像もしていませんでした。
人生を変えた「クオーターバック」、そしてコーチとの出会い
そんな私の人生を変えたのが、大学で出会ったアメリカンフットボールでした。
入部後、私は思いがけずチームの司令塔であるクオーターバックに抜擢されます。
スポーツでレギュラー経験すらなかった人間が、チームの勝敗を左右するポジションを任されたのです。
(ちなみに出身高校がPL学園だったという、ただそれだけの理由でした...)
もちろん最初から上手くいったわけではありません。
責任を背負うことが怖くて逃げたこともありました。
しかし、2人のコーチとの出会いを通じて、一つの確信を持つようになります。
人は、環境によって変わる。
役割によって成長する。
そして、自分に合った「頑張り方のコツ」を教えてくれる存在との出会いによって、
自分でも知らなかった可能性を開花させることができる。
この原体験こそが、私の活動の原点です。
日本一への挑戦と、司令塔の重要性
その後、私はビジネスパーソンとして働きながら、日本一を目指してアメリカンフットボールを続けました。
選手として日本一を3回。
コーチとして日本一を2回。
35歳でアメリカのプロリーグデビューも果たしました。
司令塔・クオーターバックとしてチームを率いた経験。
司令塔を育てるコーチとしての経験。
そして、自分が選手やアシスタントコーチとして、一流のヘッドコーチに仕えた経験。
数多くの経験の中で私が痛感したのは、「人と組織の力を最大化する司令塔の重要性」でした。
優秀な人材が集まるだけではチームは勝てない。
リーダーの在り方、リーダーのアクションによって、
個々のメンバーが成長し、チームが飛躍的に成長することもあれば、
メンバーがモチベーションを失い、チームを負けさせてしまうこともある。
私自身も司令塔として、その両方を経験しました。
「QB道場®︎」で積み重ねてきた司令塔育成の経験
2011年、私は日本初のクオーターバック専門育成スクール「QB道場®︎」を立ち上げました。
以来、日本全国、韓国、アメリカ、香港で1000人以上のクオーターバック、リーダーの育成に携わってきました。
その中で確信したことがあります。
リーダーシップとは、生まれ持った才能ではない。
学び、磨き、育てることができる。
そして本当に優れたリーダーとは、自分だけが活躍する人ではなく、
「自分を調え、周囲を活かせる人」であるということです。
自分を調え、チームを調える司令塔の実践メソッド「禅ボイス®︎」
さらに私は、選手としての自分の可能性を広げようとする様々なチャレンジのプロセスで出会った
アーティスト・楠瀬誠志郎から学んだボイストレーニングと、
禅の考え方を融合させた「禅ボイス®︎」メソッドを構築しました。
アメリカンフットボールや企業組織で数多くの司令塔と関わる中で気づいたことがあります。
それは、
優れたリーダーは、単に話が上手い人ではない。
自らがワクワクする未来を描き、その想いを声・言葉に乗せて伝えられる人である、
ということです。
人は指示や命令では動きません。
「この未来を一緒につくりたい」、そう感じた時に初めて動き始めます。
だからこそリーダーには、ビジョンを描く力と、それを伝える力が必要です。
禅ボイス®︎は単なる発声法ではありません。
呼吸・身体・心を調え、自分自身の軸をつくる。
そして、自らの想いを言葉にし、人の心を動かす声で伝える。
さらに、メンバー一人ひとりの声を引き出し、安心して挑戦できる場をつくる。
禅ボイス®︎は、そんな「自分を調え、チームを調える司令塔」を育てるための実践メソッドです。
「ビジネスパーソンのためのQB道場」という挑戦
現在は、「ビジネスパーソンのためのQB道場」を通じて、
スポーツの世界で培った司令塔育成の知見を企業のリーダー育成に展開しています。
私が育てたいのは、単なる管理職ではありません。
・自分を調え、
・覚悟を決め、
・人の可能性を見出し、
・人を巻き込み、
・チームを調えられる人。
これからの時代に求められるのは、
命令で人を動かすリーダーではなく、
自らを調え、周囲の力を引き出し、チームを調えられるリーダーではないでしょうか。
私は、
スポーツで培った司令塔育成の知見と、
禅ボイス®︎の実践を通じて、
企業や組織の未来を担うリーダーの皆さんの成長を支援していきます。
<年表と経験>
1968年
大阪・堺で生まれる。
1981年
P L学園中学校に入学し高3まで寮生活。
ガリガリ、ど近眼、地黒、坊主頭でニックネームは「ガンジー」。
体育平均点以下、軟式野球部補欠で一度も試合に出ないまま途中退部。
1987年
関西大学でアメリカンフットボールを始める。
P L出身という理由だけでアメフトの司令塔であるクオーターバックに抜擢されてしまう。
大学3年生、小学生ソフトボール以来のレギュラーポジションを獲得し、チーム悲願の一部リーグ復帰に貢献。
<人生で初めて「人(チームメイト・OB・ファンなど)の期待を背負いながら、大きな事をやり遂げた」体験>
1991年
バブル絶頂期にリクルート事件直後の(株)リクルートに入社。
社会人1部リーグ昇格間もないリクルートシーガルズに入団。
アスリートとしての意識が低すぎるチームに衝撃を受ける。
1992年
リクルートシーガルズでクーデター発生。
選手がヘッドコーチを退任に追いやり、新ヘッドコーチが誕生。
ハワイ大学出身の新ヘッドコーチの就任がキッカケとなり、チームが成長曲線に乗り始める。
練習を休むことが多かったチームメイトが、新ヘッドコーチのチームビルディングのさまざまな施策によって心が動き、「自分から練習に来たくなる」現象が起きた。
<チームビルディングの価値を強く実感した体験>
1996年 &1998年
リクルートシーガルズの一員としてアメフト日本一を達成。
1999年
営業マンとしてボイストレーニングの師匠・楠瀬誠志郎と出会う。
「良い声に大切なのは背骨と肩甲骨と股関節」という師匠の言葉を聞いて、アメフト選手としての成長のヒントを求めてボイストレーニングを始めた。
2000年
(株)リクルートを退職。
アメフト選手として、アサヒ飲料チャレンジャーズに移籍し、自身3度目の日本一。
リクルートシーガルズとは全く違うスタイルのチームビルディングで日本一を達成したヘッドコーチの元でプレーした経験が、その後のコーチとして、研修講師としての活動に大いに活かされた。
しかし自身はシーズン途中で干されて新人にポジションを奪われ、当時はとても悔しく、しんどかった。
2001年
チームは社会人選手権連覇を達成するも、プレーヤーとしての全ての自信を失い、イップスになって逃げるようにチームを退団。
シーズン終了後、現役生活を完了させる道を模索し、アメリカプロリーグへの挑戦を決断。
2002年
アメリカのマイナープロリーグ挑戦スタート。
日本ではアメリカンフットボールのコーチを始める。
チーム内の誰もが可能性を感じていなかったクオーターバックをチームのエースに育て上げてチームの社会人日本一に貢献。
<「選手(部下)の苦手を捨てて得意を活かす育成」「選手(部下)の可能性を信じて託すこと」で選手(部下)の能力を開花させたマネジメントの初体験>
2004年
3シーズン、7チームを渡り歩いた末、遂にアメリカプロリーグデビューを果たす。
3シーズンでベンチ入り登録1試合。出場3プレー。1タッチダウン。渡航費・滞在費は数百万円で通算獲得報酬は僅か175ドル。
<しかし、様々は人に支えられ、時には裏切られ、自分がやれることはすべてやり切った3シーズンの経験は人生においてはプライスレス。めちゃくちゃ面白い本を書ける自信あります(笑)>
2005年
クオーターバックコーチとして初めての日本一。
大学時代無名だったクオーターバックがシンデレラボーイと呼ばれてMVPを獲得する大活躍をサポート。
ボイストレーナーとアメフトコーチのダブルワーク開始。
2009年
アメフトコーチとして副社長的ポジション(オフェンスコーディネーター)で大失敗。
チームを迷走させ、自他共に認めるA級戦犯としてシーズンを通じて強い批判を浴び続ける。
<組織の命運を担うリーダーの強烈なプレッシャーや孤独を体験。職人としての能力と、マネージャーとしての能力がまるで別物である事を理解し、体感した経験>
シーズン終了後、マネジメントを学ぶ為に、スタンフォード大学のコーチに弟子入り。アメリカンフットボールの一流コーチからだけでなく、ミュージカル女優や指揮者との面談など、エンターテイメントの世界の一流からも様々な学びを得た。
2010年
コーチとして2度目の日本一を達成。
針の筵(むしろ)状態で迎えたオフェンスコーディネーター2年目。
シーズンファーストミーティングの準備に全身全霊を注いで「ビジョン」をプレゼンテーションし、潮目が大きく変わる。
そのシーズン、コーチとして2度目の日本一を達成。
<「メンバーがワクワクし、誰よりもリーダー自身がワクワクするビジョンを描くことメンバーを巻き込む」ことの大切を痛感した体験>
シーズン終了後、「命懸けでやった仕事で達成した日本一」に安堵感しか得られない自分の心と向き合い、長年温め続けていた「 QB道場」を起業する事を決意し、日本一を達成した1週間に退団。
2011年
日本初のアメリカンフットボールの司令塔・クオーターバックを育成する「QB道場®︎」を起業。
15年で1000人以上の司令塔の成長をサポート。
2019年
ブラインドサッカー男子日本代表のボイストレーナーに就任。
「ブラインドサッカーは声の力で守備の戦術を変えられる」という高田監督のビジョンに共鳴。
視覚障害のある選手達とのコミュニケーションの壁にぶつかりながら、「ブラインドサッカーのピッチ上で声の力を戦術的に機能させる」という、監督でさえもどうすれば出来るのかが分からない「新規プロジェクトのリーダー」として悪戦苦闘。
中間管理職、プロジェクトリーダーとして、監督・ヘッドコーチ(上司)、選手(部下)、他ジャンルの専門コーチ(他部門リーダー)の持つリソースを借りまくり、PDCA回しまくりの末、日本代表がパラリンピック東京大会のピッチで「声の力を戦術的に機能させる」ことに成功。微力ながら5位入賞に貢献。
2025年
身体・呼吸にアプローチする事でマインドセットを調えることを土台とする発声法・コミュニケーショントレーニングと、
アメリカンフットボールのプロコーチとしての人材育成・マネジメント経験を融合させた研修・ワークショッププログラムで、人が自分の可能性を信じられるようになり、 周囲の人や組織にポジティブな影響を与えられる存在になることに貢献する活動を本格的にスタート。
2026年
自身の活動をより多くの方に知って頂くための発信の場として、
・新生剛士オフィシャルウェブサイトをカットオーバー
・音声配信「新生剛士の禅ボイス®︎ラジオ」をSpotifyとYouTubeでスタート
◉Spotify「新生剛士の禅ボイス®︎ラジオ」
https://open.spotify.com/show/033fhU3pX7HZvbSkz13kb8?si=7eM_Eir4Qy2UpcuXIuG5vA
◉YouTube 「新生剛士の禅ボイス®︎ラジオ」
https://youtube.com/@zenvoiceradio?si=99T6LnAc9vXn4fp0
★関連記事★
アントレ<2018年6月>
「ビジョンが人を動かす。クオーターバック専門道場代表に聞く、優れた指揮官の定義」
https://entrenet.jp/magazine/14673/
TOKYO MX+「ブラインドサッカー日本代表を支えたボイストレーナー」<2021年10月>
*ブラインドサッカー日本代表での活動を取材して頂いた記事
https://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/202110221700/detail/
NPO法人コーチ道リレーインタビュー<2020年9月>
*スポーツコーチが学び合える場「コーチ道」のインタビュー記事
https://coach-do.com/interview/24-1/