ユリイカの想うこと
【食べ物との睨み合いスタート】
私が38歳のときに誕生したベビーは筋金入りの食物アレルギーをもってきました。
生後2ヶ月の頃から母乳を通じて全身真っ赤になる娘でした。
この時期から、母の私が食べたもの、その時刻、その後の授乳の時刻、そしてベビーのコンディションを
つぶさに記録するというNaoちゃんの観察日記が始まりました。
今も残るこの観察日記はノート数冊に渡り、その統一性のないノートを見ると、食べるものに追われ、
気に入ったものに統一する時間、ノートを買いに行く時間すらなかったことが思い出されます。
母の食べたものから、アレルゲンを推測、特定する日々。どうやら、大豆、乳製品、卵、油脂・・・
このあたりが怪しいことに気づきます。
そして、やっとベビーが血液でアレルギー検査を受けられる月齢になったとき、
私は衝撃の事実を突きつけられました。なんと、小麦に強烈なアレルギーがありました。
今でこそ、小麦のアレルギー、小麦の品質、ひいてはグルテンフリーなど
小麦が取り上げられることは珍しくありませんが、20数年前にはまだ稀有だった気がします。
私はお米よりパンが好きな10代を過ごし、ひとり暮らしの間も、結婚し妊娠しても、出産後も
当たり前のように朝食はパンでした。
ベビーの観察日記をつけ始め、ベビーが真っ赤になり、痒がっているのに、
小麦を疑うこともなく、食べ続けました。
自分の思い込みの強さに、涙より驚きで笑いしか出なかった記憶があります。
ベビーのアレルゲンは多々ありました。除去したのは、乳製品、卵、小麦、ごま。
食卓から、これらの食材を取り除くのはかなりの労力です。
大豆も怪しかったので、味噌はあわ味噌、キビみそなどの雑穀味噌へ。
醤油は小麦も入っているので、やはり雑穀で醸造したものに変えました。
ベビーのアレルゲンを除去するとお菓子、特にクッキー、ケーキなどの洋菓子は基本的にアウト!
和菓子には多少の救いがありました。
よって、母は趣味でもないのに、日々、おやつのクッキーやパン、焼き菓子を自宅で焼くことになります。
当時は米粉もほぼ上新粉みたいなレベルしかなく(都会のスーパーにはあったのかも?)
頑張って焼いたパンが餅になってしまうなど、笑える経験は数しれず。
小麦の仲間でもパスタになるセモリナ粉が反応しにくかったので、、質の良いセモリナ粉でパンを焼きました。
インターネットも家庭にはまだ普及していなかったので、辻アレルギー研究所さんの紙カタログから、
粉類を選んでFAXで注文していました。
幸いベビーは第一子だったので、(結果的にひとりっ子)ベビー時代は無人島で子供を育てるような感覚で、
世間一般の食事、おやつをほぼ知らぬままで過ごすこともできましたが、
保育園、小学校、中学になると給食という難門にぶつかります。
教育委員会、実際に通う学校の校長、養護教諭、担任、クラスメートの認識、その対応に奔走しました。
何より、娘ちゃん本人の意向が大切になります。
娘ちゃんは保育園ではかなり個別の対応をしてもらえました。感謝です。
小学校は4年生までお弁当持参。母は学校の献立表をもとに似通ったメニューを作っていました。
その後、小学校高学年、中学は娘本人が当日の献立を自分で判断。
お腹いっぱい食べたり、ほとんど食べなかったりを経験したことでしょう。
高校時代は基本お弁当でしたが、もう年齢的に本人の意志が最優先なので、
友達同士でのファーストフード、ファミレス、カフェ・・・、
往復二時間近くの電車通学でしたから、気になるコンビニフードはコンプリートしたと聞いています。
【マクロビオティック、食養生との出会い】
アレルギーであれ、何であれ、食べ物は人のカラダに影響している。
おぼろげながらもそう感じている方は大勢いらっしゃいますよね。
身近なところではダイエットとか、筋肉質なボディをつくるとか・・・。
でも、命にかかわらないところを変えたいがための食べ物と、
油断すると命の危機に遭遇してしまう食べ物の選び方では、それに伴う緊張感が違います。
現在でもアレルギーを持ったお子さんと暮らしてらっしゃるご家族のなかには、
いっときも気が休まらない方がいらっしゃるのでは?
私がまさにそうでした。24時間、食べさせる食べ物のことが頭から離れず、
朝食が終われば、昼食、おやつ、そしてお夕飯。
一日が無事終われば、翌朝の食べるものを考え、想定して眠る。朝起きたら、その繰り返し・・・。
その緊迫感は次第に、食べて良いもの・悪いものという二元の価値感を自分自身に刷り込んでいきます。
それは食材選びだけではなく、日常の中に、思考の中に。
何より、今振り返って思うのは、子供が親から受ける物事の判断基準のようなもの。
そこに、少なからず影響があったのではと思うのです。良い・悪いで・・・分けてしまう。
当時の私は無自覚でした。
そんな日々の中、出会ったのがマクロビオティック、日本発祥の食養生でした。
行きつけの美容院の本棚にあった1冊の本、米国で有名だった久司道夫という日本人が書いた食の本。
欧州、米国、アジアからの逆輸入でした。
食べ物には人のカラダとココロに作用する力がある。
人のカラダは食べたものでできている。
人は食べたものに似てくる・・・・等々。
中でも、食べ物を「陰と陽」の視点で選ぶとき、それは人のカラダを穏やかに、健やかに変えられる。
陰陽は相対する、でも良い・悪いのジャッジではない。その中間にある中庸に近づこうということ。
今までの私にはない「陰陽☯」のセオリーに衝撃を受け、久司先生の本を手当たり次第注文し、
読み漁った覚えがあります。
陰陽理論、マクロビオティックは導入部分が食べ物だと理解がスムーズなだけで、本来は宇宙の法則。
いきなり宇宙にまで思いを馳せるのは難しかったけど、
それでも、日々口にするものに陰陽のフィルターを通すことで、
私はカラダのセルフケアがグンと楽に、娘のことも多少、俯瞰して見られるようになりました。
大げさでなく、日常が、世界が変わりました。
同じ場で、同じものを食べた人にはその食材、調理方法がもたらす通じ合うものがある、
だから大切な人とは同じ場所で、同じものを食べよう。そこから離れると、お互いの気持が見えにくくなる。
「同じ釜の飯」ってそういうこと。
【加工食品診断士って?】
娘のアレルギー症状の根本原因は20歳まで通った大学病院でも特定されませんでした。
ただ、おおよその見当、そう生後2ヶ月から記した観察日記のように、食べたものとカラダのコンディションを
見つめ続けたとき、そこに浮かび上がるのは加工食品の添加物、いわゆる、保存料や着色料の存在でした。
そこで母は加工食品の専門家であった、安部司先生の講座を受講。
最終的には「加工食品診断士」の資格を取得しました。
予想はしていたものの、加工食品業界の現状、中でも日本が世界屈指の添加物大国だったこと。
言葉では安全な食べ物、自然な食品を・・・と言いながら、
明らかに逆行している現状・・・この国の食のあり方に失望しました。
加工食品診断士の中には、資格習得後、加工食品の現状を伝えるための講座やセミナーを
開催してらっしゃる方もいらっしゃるようです。
お子さん向けの講座で、化学薬品を混ぜて、オレンジジュースを作ってみるとか・・・。
それでも、私は加工食品だけに特化した講座を開催したことはありません。今後もできればしたくない。
いかんせんマイナスな情報ばかりをお伝えすることが私自身、気が乗らない、楽しくない・・・。
現状を全く知ることなく、コンビニ食、スーパーのお弁当を食べ続けている方には、
加工食品の現状や裏側は衝撃的で興味深いお話かもしれませんが、
まずはそれを食べ続けているご自身で何かを気づいていただきたいのが本音です。
【見えないアレルギーの定義】
娘のアレルギー反応は食材を除去するだけでは改善しない不可解な点も多かったので、
大学病院の小児科、アレルギー専門医のサポートを受けていました。
高校を卒業し、20歳になるまで定期的にお世話になりました。
母はそこで知った「アレルギー大学」というものに、1年間通います。
そもそもアトピーのお子さんを育てていたママさんたちが始めたNPO法人が核になり、
そこに医師、看護士、栄養士などのアレルギーの専門家の方々が協力するというものでした。
娘の主治医の講座の回もありましたが、現在は異なるカタチになっているのかもしれません。
今でこそ、給食にもアレルギー対応食が別に調理される時代になりましたが、
そこに至るまで現場を動かしていらしたスタッフの方々には頭が下がります。
そしてそこで母はまたひとつ、感じ始めます。
アレルギー症状を抱える方は子供であれ、大人であれ、家族、親、周囲の人たちが当たり前に交わす会話が、、
少なからず己のアレルギー症状に影響してることをわかっているのではないかと。
【アレルギーは違和感の写し鏡】
我が家のベビーは食べ物に限らず、古くなった壁の粉が落ちた部屋で遊んでも
お顔や手のひらが真っ赤になりました。ハウスダストは言うまでもなく・・・。
壁のリフォームをすることになったとき、粉の落ちない壁紙なら大丈夫!
という予測は見事に裏切られます。
壁紙そのものの素材、接着剤等から揮発される化学物質がアレルゲンになりうると。
今でいう化学物質過敏症の走りです。
20数年前はまだアレルギー対応の壁紙を扱う業者さんも少なく、種類も限られたもの。
専門業者でさえ、取り扱ったことがないという時代でした。
当然、化学繊維の服は着せることなく、下着、衣類は綿100%。
それでも、安価な綿製品を着ると真っ赤になる。染料や製造過程の何かが障る。
それからは最低限、直接肌に触れるものはオーガニックコットンに変えました。
6月を過ぎると、曇りの日でも車の中で真っ赤に日焼けしました。
これは母の私も日光過敏症という皮膚トラブルを持っていたので、
リビングと寝室のカーテンは紫外線対策としてオーガニックコットンでオーダー。
オーガニックコットンのカーテンの部屋は遮光もさることながら、室温が安定することにも驚きました。
オーガニックコットンの衣類は肌の状態を治してくれるわけではないけれど、今以上に悪くなることはない。
それだけでもどれだけありがたかったことか。
今でこそ、オーガニックコットンのブランドは何社もあり、世間にも認知されるようになりましたし、
オーガニックコットンの中でも本当に人のカラダに寄り添ってくれるもの、
長く長く付き合えるものに出会うこともできました。
暮らしの衣・食・住は私たちのカラダとココロを創ります。
身にまとう衣類、日々口にする水、食材、空気。長い時を過ごす家、住まいそのもの、
日常を回してくれるさまざまな道具、避けて通れないPC、スマホなどの電子機器・・・。
アレルギーとは誰でもが「ココロとカラダに内包する違和感のセンサー」だと思うようになりました。
直接的な皮膚感覚でキャッチする人、その食べ物や商品の背景にあるものに違和感を感じる人。
【眼の前、そして近未来】
それでも、私たちが日々手にするもの、それらすべての生産者や作り手が、
その農作物や製品をすこやかに胸を張って、私たち消費者に送り出してくれる。
私たちはそのイメージを気持ちよく受け取り、今を軽やかに生きる力に変えて行く。
そこには生産者の報われない悲しみや諦めの感情は見当たらない。
それが当たり前になる近未来を、私は描いています。
自然農のお米や野菜、果物、お菓子、調味料であれ、オーガニックコットンであれ、
これらは一般に売られているものよりも高値です。
ではなぜ、その値段になるのか?なぜ、手に入りにくいのか?
私は生涯、生産者になることはない人生です。
それでも、それらの現状を踏まえ、正当な価格のお買い物をし、
理解していただける方々を丁寧に繋げていきたいと思います。
私が38歳のときに誕生したベビーは筋金入りの食物アレルギーをもってきました。
生後2ヶ月の頃から母乳を通じて全身真っ赤になる娘でした。
この時期から、母の私が食べたもの、その時刻、その後の授乳の時刻、そしてベビーのコンディションを
つぶさに記録するというNaoちゃんの観察日記が始まりました。
今も残るこの観察日記はノート数冊に渡り、その統一性のないノートを見ると、食べるものに追われ、
気に入ったものに統一する時間、ノートを買いに行く時間すらなかったことが思い出されます。
母の食べたものから、アレルゲンを推測、特定する日々。どうやら、大豆、乳製品、卵、油脂・・・
このあたりが怪しいことに気づきます。
そして、やっとベビーが血液でアレルギー検査を受けられる月齢になったとき、
私は衝撃の事実を突きつけられました。なんと、小麦に強烈なアレルギーがありました。
今でこそ、小麦のアレルギー、小麦の品質、ひいてはグルテンフリーなど
小麦が取り上げられることは珍しくありませんが、20数年前にはまだ稀有だった気がします。
私はお米よりパンが好きな10代を過ごし、ひとり暮らしの間も、結婚し妊娠しても、出産後も
当たり前のように朝食はパンでした。
ベビーの観察日記をつけ始め、ベビーが真っ赤になり、痒がっているのに、
小麦を疑うこともなく、食べ続けました。
自分の思い込みの強さに、涙より驚きで笑いしか出なかった記憶があります。
ベビーのアレルゲンは多々ありました。除去したのは、乳製品、卵、小麦、ごま。
食卓から、これらの食材を取り除くのはかなりの労力です。
大豆も怪しかったので、味噌はあわ味噌、キビみそなどの雑穀味噌へ。
醤油は小麦も入っているので、やはり雑穀で醸造したものに変えました。
ベビーのアレルゲンを除去するとお菓子、特にクッキー、ケーキなどの洋菓子は基本的にアウト!
和菓子には多少の救いがありました。
よって、母は趣味でもないのに、日々、おやつのクッキーやパン、焼き菓子を自宅で焼くことになります。
当時は米粉もほぼ上新粉みたいなレベルしかなく(都会のスーパーにはあったのかも?)
頑張って焼いたパンが餅になってしまうなど、笑える経験は数しれず。
小麦の仲間でもパスタになるセモリナ粉が反応しにくかったので、、質の良いセモリナ粉でパンを焼きました。
インターネットも家庭にはまだ普及していなかったので、辻アレルギー研究所さんの紙カタログから、
粉類を選んでFAXで注文していました。
幸いベビーは第一子だったので、(結果的にひとりっ子)ベビー時代は無人島で子供を育てるような感覚で、
世間一般の食事、おやつをほぼ知らぬままで過ごすこともできましたが、
保育園、小学校、中学になると給食という難門にぶつかります。
教育委員会、実際に通う学校の校長、養護教諭、担任、クラスメートの認識、その対応に奔走しました。
何より、娘ちゃん本人の意向が大切になります。
娘ちゃんは保育園ではかなり個別の対応をしてもらえました。感謝です。
小学校は4年生までお弁当持参。母は学校の献立表をもとに似通ったメニューを作っていました。
その後、小学校高学年、中学は娘本人が当日の献立を自分で判断。
お腹いっぱい食べたり、ほとんど食べなかったりを経験したことでしょう。
高校時代は基本お弁当でしたが、もう年齢的に本人の意志が最優先なので、
友達同士でのファーストフード、ファミレス、カフェ・・・、
往復二時間近くの電車通学でしたから、気になるコンビニフードはコンプリートしたと聞いています。
【マクロビオティック、食養生との出会い】
アレルギーであれ、何であれ、食べ物は人のカラダに影響している。
おぼろげながらもそう感じている方は大勢いらっしゃいますよね。
身近なところではダイエットとか、筋肉質なボディをつくるとか・・・。
でも、命にかかわらないところを変えたいがための食べ物と、
油断すると命の危機に遭遇してしまう食べ物の選び方では、それに伴う緊張感が違います。
現在でもアレルギーを持ったお子さんと暮らしてらっしゃるご家族のなかには、
いっときも気が休まらない方がいらっしゃるのでは?
私がまさにそうでした。24時間、食べさせる食べ物のことが頭から離れず、
朝食が終われば、昼食、おやつ、そしてお夕飯。
一日が無事終われば、翌朝の食べるものを考え、想定して眠る。朝起きたら、その繰り返し・・・。
その緊迫感は次第に、食べて良いもの・悪いものという二元の価値感を自分自身に刷り込んでいきます。
それは食材選びだけではなく、日常の中に、思考の中に。
何より、今振り返って思うのは、子供が親から受ける物事の判断基準のようなもの。
そこに、少なからず影響があったのではと思うのです。良い・悪いで・・・分けてしまう。
当時の私は無自覚でした。
そんな日々の中、出会ったのがマクロビオティック、日本発祥の食養生でした。
行きつけの美容院の本棚にあった1冊の本、米国で有名だった久司道夫という日本人が書いた食の本。
欧州、米国、アジアからの逆輸入でした。
食べ物には人のカラダとココロに作用する力がある。
人のカラダは食べたものでできている。
人は食べたものに似てくる・・・・等々。
中でも、食べ物を「陰と陽」の視点で選ぶとき、それは人のカラダを穏やかに、健やかに変えられる。
陰陽は相対する、でも良い・悪いのジャッジではない。その中間にある中庸に近づこうということ。
今までの私にはない「陰陽☯」のセオリーに衝撃を受け、久司先生の本を手当たり次第注文し、
読み漁った覚えがあります。
陰陽理論、マクロビオティックは導入部分が食べ物だと理解がスムーズなだけで、本来は宇宙の法則。
いきなり宇宙にまで思いを馳せるのは難しかったけど、
それでも、日々口にするものに陰陽のフィルターを通すことで、
私はカラダのセルフケアがグンと楽に、娘のことも多少、俯瞰して見られるようになりました。
大げさでなく、日常が、世界が変わりました。
同じ場で、同じものを食べた人にはその食材、調理方法がもたらす通じ合うものがある、
だから大切な人とは同じ場所で、同じものを食べよう。そこから離れると、お互いの気持が見えにくくなる。
「同じ釜の飯」ってそういうこと。
【加工食品診断士って?】
娘のアレルギー症状の根本原因は20歳まで通った大学病院でも特定されませんでした。
ただ、おおよその見当、そう生後2ヶ月から記した観察日記のように、食べたものとカラダのコンディションを
見つめ続けたとき、そこに浮かび上がるのは加工食品の添加物、いわゆる、保存料や着色料の存在でした。
そこで母は加工食品の専門家であった、安部司先生の講座を受講。
最終的には「加工食品診断士」の資格を取得しました。
予想はしていたものの、加工食品業界の現状、中でも日本が世界屈指の添加物大国だったこと。
言葉では安全な食べ物、自然な食品を・・・と言いながら、
明らかに逆行している現状・・・この国の食のあり方に失望しました。
加工食品診断士の中には、資格習得後、加工食品の現状を伝えるための講座やセミナーを
開催してらっしゃる方もいらっしゃるようです。
お子さん向けの講座で、化学薬品を混ぜて、オレンジジュースを作ってみるとか・・・。
それでも、私は加工食品だけに特化した講座を開催したことはありません。今後もできればしたくない。
いかんせんマイナスな情報ばかりをお伝えすることが私自身、気が乗らない、楽しくない・・・。
現状を全く知ることなく、コンビニ食、スーパーのお弁当を食べ続けている方には、
加工食品の現状や裏側は衝撃的で興味深いお話かもしれませんが、
まずはそれを食べ続けているご自身で何かを気づいていただきたいのが本音です。
【見えないアレルギーの定義】
娘のアレルギー反応は食材を除去するだけでは改善しない不可解な点も多かったので、
大学病院の小児科、アレルギー専門医のサポートを受けていました。
高校を卒業し、20歳になるまで定期的にお世話になりました。
母はそこで知った「アレルギー大学」というものに、1年間通います。
そもそもアトピーのお子さんを育てていたママさんたちが始めたNPO法人が核になり、
そこに医師、看護士、栄養士などのアレルギーの専門家の方々が協力するというものでした。
娘の主治医の講座の回もありましたが、現在は異なるカタチになっているのかもしれません。
今でこそ、給食にもアレルギー対応食が別に調理される時代になりましたが、
そこに至るまで現場を動かしていらしたスタッフの方々には頭が下がります。
そしてそこで母はまたひとつ、感じ始めます。
アレルギー症状を抱える方は子供であれ、大人であれ、家族、親、周囲の人たちが当たり前に交わす会話が、、
少なからず己のアレルギー症状に影響してることをわかっているのではないかと。
【アレルギーは違和感の写し鏡】
我が家のベビーは食べ物に限らず、古くなった壁の粉が落ちた部屋で遊んでも
お顔や手のひらが真っ赤になりました。ハウスダストは言うまでもなく・・・。
壁のリフォームをすることになったとき、粉の落ちない壁紙なら大丈夫!
という予測は見事に裏切られます。
壁紙そのものの素材、接着剤等から揮発される化学物質がアレルゲンになりうると。
今でいう化学物質過敏症の走りです。
20数年前はまだアレルギー対応の壁紙を扱う業者さんも少なく、種類も限られたもの。
専門業者でさえ、取り扱ったことがないという時代でした。
当然、化学繊維の服は着せることなく、下着、衣類は綿100%。
それでも、安価な綿製品を着ると真っ赤になる。染料や製造過程の何かが障る。
それからは最低限、直接肌に触れるものはオーガニックコットンに変えました。
6月を過ぎると、曇りの日でも車の中で真っ赤に日焼けしました。
これは母の私も日光過敏症という皮膚トラブルを持っていたので、
リビングと寝室のカーテンは紫外線対策としてオーガニックコットンでオーダー。
オーガニックコットンのカーテンの部屋は遮光もさることながら、室温が安定することにも驚きました。
オーガニックコットンの衣類は肌の状態を治してくれるわけではないけれど、今以上に悪くなることはない。
それだけでもどれだけありがたかったことか。
今でこそ、オーガニックコットンのブランドは何社もあり、世間にも認知されるようになりましたし、
オーガニックコットンの中でも本当に人のカラダに寄り添ってくれるもの、
長く長く付き合えるものに出会うこともできました。
暮らしの衣・食・住は私たちのカラダとココロを創ります。
身にまとう衣類、日々口にする水、食材、空気。長い時を過ごす家、住まいそのもの、
日常を回してくれるさまざまな道具、避けて通れないPC、スマホなどの電子機器・・・。
アレルギーとは誰でもが「ココロとカラダに内包する違和感のセンサー」だと思うようになりました。
直接的な皮膚感覚でキャッチする人、その食べ物や商品の背景にあるものに違和感を感じる人。
【眼の前、そして近未来】
それでも、私たちが日々手にするもの、それらすべての生産者や作り手が、
その農作物や製品をすこやかに胸を張って、私たち消費者に送り出してくれる。
私たちはそのイメージを気持ちよく受け取り、今を軽やかに生きる力に変えて行く。
そこには生産者の報われない悲しみや諦めの感情は見当たらない。
それが当たり前になる近未来を、私は描いています。
自然農のお米や野菜、果物、お菓子、調味料であれ、オーガニックコットンであれ、
これらは一般に売られているものよりも高値です。
ではなぜ、その値段になるのか?なぜ、手に入りにくいのか?
私は生涯、生産者になることはない人生です。
それでも、それらの現状を踏まえ、正当な価格のお買い物をし、
理解していただける方々を丁寧に繋げていきたいと思います。