講師の想い
はじめまして。兵庫県神戸市のモンテッソーリ子どもの家「をちこち」の しみずみほ です。
このページでは、私自身のことと、この教室「をちこち」に込めた思いについて、少しゆっくりお話させていただけたらと思います。
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鍼灸師としてのスタート、そして教育の世界へ
私はもともと鍼灸師として医療の道に進みました。人の体に触れ、痛みや不調に向き合う中で、自然と「その人の背景」や「生き方」にも寄り添うようになっていきました。
その後、あるご縁から特別支援学校の教師として働くことになり、そこから「人が育つ」という営みの深さに強く惹かれるようになります。初任校は、重度の障害をもつ子どもたちが通う学校でした。毎日が学びと挑戦の連続でしたが、子どもたちの存在の深さや、ひとつひとつの小さな成長の尊さに触れるたび、「教育って何だろう」と考えずにはいられませんでした。
当初は、自分の医療の視点が教育現場で浮いてしまうこともあり、「君のやっていることは教育ではなく医療だ」と言われ、もう医療の世界に戻ろうかと思ったことも何度もありました。でも、そう言われたからこそ、「教育とは何か」を本気で知りたいという思いが芽生え、そのことが今につながっているのだと思うと、「何が転機になるかは本当にわからないなぁ」と感じています。
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モンテッソーリ教育との出会い
そんな中で、大きな転機になったのは、自分に子どもが生まれたことです。
妊娠中、育児書を読みあさる中で出会ったモンテッソーリ教育。その理念に「これだ」と深く共鳴しました。そして近所にあるモンテッソーリの教室を紹介してもらい、通わせたいと思っていた矢先、その先生が東京に学びに行かれることになり、教室を閉めると知ったのです。
がっくり気落ちしていた私に、その先生が言ったひと言。 「あなたも学んでみたら?」
それが、私自身がモンテッソーリ教育を本格的に学ぶ決意をした瞬間でした。
当時、3歳になったばかりの子どもと、1歳にならない子どもを連れて東京での学びを始めるのは、無謀とも言える挑戦だったのかもしれません。ですが、その時はそんなことも露とも思わず、まるで何かに転がされるようにトントンと話が進んだのは、今思えば何かの導きだったのかもしれません。
その学びは決して楽なものではありませんでしたが、それをすべて払拭してくれるほどの、松本静子先生からの学びの豊かさがありました。
静子先生の、提供の所作の美しさや、子どもに対するまなざしに深く感動しました。そして、マリア・モンテッソーリの精神――子どもたちが平和な世界の創造者として生きていけるようにと願って実践された教育法――を知り、私はすっかりモンテッソーリ教育のとりこになりました。
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教室「をちこち」に込めた思い
「をちこち」という名前は、“今も昔も変わらないもの”という意味がありますが、同時に“ここ”と“あちら”という意味もあります。今ここにいるけれど、やがて子どもたちはそれぞれの「あちら(未来)」へと歩き出す。
この教室は、そんな“旅立ちのまえの居場所”でありたいと思っています。
モンテッソーリ教育では、大人は教える人ではなく、環境を整え、子どもが自ら育つのを助ける「見守る人」です。
私は、子どもたちの「できた!」という小さな輝きを見逃さず、心から喜べる存在でありたい。
そして、子どもたちの中に眠る力を信じ、手を出しすぎず、でもそばにはいつもいる。そんな、安心して“自分”を試せる空間を整えていきたいと思っています。
また、鍼灸師としての視点も活かし、お子さんだけでなく親御さんにとっても心や体を緩められるような関わりができたらと願っています。
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教室に通うということ
モンテッソーリ教育の中で、私がいつも「奥が深い」と感じているのは、「観察すること」と「整えること」です。
この教室は、子どもたちの内なる声が響くように、余計な装飾をそぎ落とし、静かな空間にしています。おもちゃではなく、意味のある「おしごと」があり、大人の都合ではなく、子どもの「いま」に合わせた時間が流れます。
比べることも、急がせることもありません。
泣いても、黙っていても、夢中になっても、どんな姿もその子らしい“今”として受けとめること。そうして自分の存在をまるごと認められた子どもは、やがて他者の存在も大切にできる人へと育っていくのだと思います。
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最後に
この教室では、子どもたちから教えてもらったことを、日々心に留めながら過ごしています。
子どもの集中するまなざし、静かに満足そうにたたずむ背中、やり遂げて誇らしげな表情、思いがけないひと言――
私は、そんな瞬間に何度も心を打たれ、「この仕事をしていてよかった」といつも感じています。
まだまだ学びの途中ですが、モンテッソーリ教育という一生学び続けたいものと出会えたことを、心から幸せに思っています。
この場所が、子どもたちにとっても、保護者の方にとっても、やさしく寄り添える「をちこち」になりますように。
どうぞよろしくお願いいたします。
このページでは、私自身のことと、この教室「をちこち」に込めた思いについて、少しゆっくりお話させていただけたらと思います。
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鍼灸師としてのスタート、そして教育の世界へ
私はもともと鍼灸師として医療の道に進みました。人の体に触れ、痛みや不調に向き合う中で、自然と「その人の背景」や「生き方」にも寄り添うようになっていきました。
その後、あるご縁から特別支援学校の教師として働くことになり、そこから「人が育つ」という営みの深さに強く惹かれるようになります。初任校は、重度の障害をもつ子どもたちが通う学校でした。毎日が学びと挑戦の連続でしたが、子どもたちの存在の深さや、ひとつひとつの小さな成長の尊さに触れるたび、「教育って何だろう」と考えずにはいられませんでした。
当初は、自分の医療の視点が教育現場で浮いてしまうこともあり、「君のやっていることは教育ではなく医療だ」と言われ、もう医療の世界に戻ろうかと思ったことも何度もありました。でも、そう言われたからこそ、「教育とは何か」を本気で知りたいという思いが芽生え、そのことが今につながっているのだと思うと、「何が転機になるかは本当にわからないなぁ」と感じています。
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モンテッソーリ教育との出会い
そんな中で、大きな転機になったのは、自分に子どもが生まれたことです。
妊娠中、育児書を読みあさる中で出会ったモンテッソーリ教育。その理念に「これだ」と深く共鳴しました。そして近所にあるモンテッソーリの教室を紹介してもらい、通わせたいと思っていた矢先、その先生が東京に学びに行かれることになり、教室を閉めると知ったのです。
がっくり気落ちしていた私に、その先生が言ったひと言。 「あなたも学んでみたら?」
それが、私自身がモンテッソーリ教育を本格的に学ぶ決意をした瞬間でした。
当時、3歳になったばかりの子どもと、1歳にならない子どもを連れて東京での学びを始めるのは、無謀とも言える挑戦だったのかもしれません。ですが、その時はそんなことも露とも思わず、まるで何かに転がされるようにトントンと話が進んだのは、今思えば何かの導きだったのかもしれません。
その学びは決して楽なものではありませんでしたが、それをすべて払拭してくれるほどの、松本静子先生からの学びの豊かさがありました。
静子先生の、提供の所作の美しさや、子どもに対するまなざしに深く感動しました。そして、マリア・モンテッソーリの精神――子どもたちが平和な世界の創造者として生きていけるようにと願って実践された教育法――を知り、私はすっかりモンテッソーリ教育のとりこになりました。
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教室「をちこち」に込めた思い
「をちこち」という名前は、“今も昔も変わらないもの”という意味がありますが、同時に“ここ”と“あちら”という意味もあります。今ここにいるけれど、やがて子どもたちはそれぞれの「あちら(未来)」へと歩き出す。
この教室は、そんな“旅立ちのまえの居場所”でありたいと思っています。
モンテッソーリ教育では、大人は教える人ではなく、環境を整え、子どもが自ら育つのを助ける「見守る人」です。
私は、子どもたちの「できた!」という小さな輝きを見逃さず、心から喜べる存在でありたい。
そして、子どもたちの中に眠る力を信じ、手を出しすぎず、でもそばにはいつもいる。そんな、安心して“自分”を試せる空間を整えていきたいと思っています。
また、鍼灸師としての視点も活かし、お子さんだけでなく親御さんにとっても心や体を緩められるような関わりができたらと願っています。
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教室に通うということ
モンテッソーリ教育の中で、私がいつも「奥が深い」と感じているのは、「観察すること」と「整えること」です。
この教室は、子どもたちの内なる声が響くように、余計な装飾をそぎ落とし、静かな空間にしています。おもちゃではなく、意味のある「おしごと」があり、大人の都合ではなく、子どもの「いま」に合わせた時間が流れます。
比べることも、急がせることもありません。
泣いても、黙っていても、夢中になっても、どんな姿もその子らしい“今”として受けとめること。そうして自分の存在をまるごと認められた子どもは、やがて他者の存在も大切にできる人へと育っていくのだと思います。
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最後に
この教室では、子どもたちから教えてもらったことを、日々心に留めながら過ごしています。
子どもの集中するまなざし、静かに満足そうにたたずむ背中、やり遂げて誇らしげな表情、思いがけないひと言――
私は、そんな瞬間に何度も心を打たれ、「この仕事をしていてよかった」といつも感じています。
まだまだ学びの途中ですが、モンテッソーリ教育という一生学び続けたいものと出会えたことを、心から幸せに思っています。
この場所が、子どもたちにとっても、保護者の方にとっても、やさしく寄り添える「をちこち」になりますように。
どうぞよろしくお願いいたします。