五十嵐建設 株式会社

私達について

私達について

はじめまして。五十嵐建設株式会社 代表取締役五十嵐瑞恵と申します。
まずは自己紹介から、生年月日は1970年4月23日、牡牛座、B型、日本バレエ協会会員
以前は仕事の傍らクラシックバレエの指導をしておりました。
好きな食べ物は、ラーメン(特に地元六郷や旭川市豊岡の梅光軒)、自分で作った春巻き、シャインマスカット、観音屋のデンマークチーズケーキ、ほの香さんのバスクチーズケーキ、たこ昌の明石焼き、などなどあげるときりがなく食べることが大好きです。
趣味は温泉、マッサージ、動物と戯れることです。
最近の楽しみ 貸してもらった北斗の拳を少しずつ読むことです
好きな色 ミントグリーン、白、黒、ネイビー
特技 クラシックバレエの指導(元MIZUEバレエスタジオ主宰)
どんな虫でも捕まえられる(もちろんリリース)
好きな芸術家 チャイコフスキー、ショパン、ミンクス、アダン、マリウス・プティパ
理想の人間像 肉眼では見えない宝石を持っている人
好きな言葉 「何も咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く」
どうぞ仲良くして下さい。

昨年 令和5年7月13日父が突然亡くなり、急遽代表に就任致しました。
山形で宮大工をしていた祖父が創業し、家業を継ぐ為に東京清水建設本社から戻された
一級建築士の父が設立した小さいけれど歴史ある会社です。
現在は一級木造建築士の大工を中心にそれぞれ現場のプロフェッショナルの従業員達と
私を入れて計5名で会社を守っております。
父が亡くなったという悲しみに加え経営も建築も何もわからず、まるで暗い海にひとり放り投げられた気分でしたが、今は不安な気持ちが全くないのは、そばで支えてくれる従業員達や周りの方々に助けられているからだと思います。

私は、1995年3月に父の会社で働いていた病気を患っていた叔母の代わりに会社を手伝うこととなり、それまでいた東京から地元北海道遠軽町に戻ってきました。
戻ってきた当初、東京での刺激的な毎日とは訳が違い、あまりにも静かすぎる田舎の生活に戸惑いながらも、ガーデニングやプランターでの家庭菜園、野良猫と遊んだり、読書などに楽しみを見いだしていました。
全く経験のない経理を過去の伝票や書類を見よう見まねで、月に1回来られる税理士さんに教えてもらったことをノートに写し、それを見ながら行っていました。
私が一番苦手とする分野。絶対やろうと思わなかった分野。どうしたら慣れるものだろう?
悩みながらも自分なりに頑張っていたんじゃないかなと思います。
ご近所の方々、会社を訪れる方々、みんな親切に優しく接して下さいました。
私が戻ってから人間は怖いなぁとこれでもかというくらい毎日色々な事がありましたが、極力イヤな事には目を向けず、なるべく良い事良い人に焦点を当てて生活しようと意識を
しておりました。
それでもストレスをごまかすことは出来ず、20代後半から30代前半まで毎年のように
4回旭川医大に入院し3回手術をしました。病名は子宮内膜症のチョコレート嚢胞です。
普通は親指の爪くらいの卵巣が私の場合は拳大くらいの大きさになり、更に捻転 、癒着、それに加えて病院嫌いなのでいつも四期での入院でした。
4回目の入院は外来でいつも通りの検査をしましたが腫瘍マーカーが4桁になり、これは確実に癌との事で、病室が空き次第電話をするので待っていて下さいとのことでした。
1週間だったか2週間だったかようやく部屋が空いたとの連絡があり、すぐに旭川医大に向かいました。両親には主治医より説明するとのことでしたから私からは何も話はしませんでしたが、父が運転する車の中で実は検査結果が良くなくて、腫瘍マーカーが4桁なので癌かもしれないと話すと、父は様子がおかしいのでそうかもしれないと思っていたとの事でした。長い沈黙の車内で私は、癌治療をすることはせず自分で調べた静岡のホスピスに入ることを考えており、何も戦うこともせず先立つ不孝を許してほしいと申し訳ない気持ちで胸が苦しくなりました。これまでの入院で多くの方が癌を患いそれぞれが勇敢に癌という敵と戦っているのを目の当たりにして、もし私が癌になってもみんなのようには戦うことはできないと思っておりました。みんな守るべきものがあり、苦しい治療に耐え、私には勇者に見えました。私は独身で子供もおらずその時の両親はまだ若く、長く苦しい治療ではなく、縛られることなく自由な生活を最後までできることを望んでホスピスに入ろうと考えておりました。
今も数は多くはないホスピスです。当時は私が見つけたのは静岡でした。
ホスピスとは終末期患者の痛みや苦しみを軽減し、快適さや生活の質を優先する施設です。
患者だけではなくその家族に寄り添い家族の不安や負担も減らし、人間らしい最後を迎えることのできるようサポートするというものです。
ただホスピスに入ることを希望しても、あまりにも遠く両親には申し訳ないと心が苦しくなりました。
病院に着いて、改めて血液検査をすると、検査結果を持ってきた主治医が、「不思議な事が起こりました。お嬢さんの4桁あった腫瘍マーカーの数値が通常の数値に戻りました。私が医大に入ってからお嬢さんを入れて3人目です」と興奮気味に話しました。
私も両親も何が何だかわかりませんでしたが、とりあえず1週間入院することになり、その後無事に退院しました。
なぜそのような不思議な事が起こったのだろうか?と考えると、思い当たることがありました。父の会社を手伝うようになり毎日今までにない誰にも話せない大きなストレスにさらされ、その辛い気持ちをごまかす為に蓋をして生活をしていたのですが、いくら趣味を見つけても体は誤魔化せず病に蝕まれていきましたが、入院前だけは何一つ辛く悲しい事を完全に頭から排除し、楽しいビデオを見て、動物たちとふれあい、毎日とにかく笑うような生活をしていたと思います。笑いは免疫をあげると聞いたことがありますが、ここまでも効果があるとは、身をもって体験致しました。
私は現在、あまりこれまで正直業績の良くない建築を立て直そうと従業員と共に頑張っておりますが、ある程度の目処が立ったら、殺処分される犬や猫を引き取りアニマルセラピー付きのみんなが幸せになれるようなホスピスを建てたいと考えております。
動物を救い、その動物とふれあうことにより苦しんでいる人々の苦痛を少しでも和らげ笑顔に出来たらいいなと思い計画を立てております。
制約の多い病院ではなく、痛みだけ薬で取り除き、人間らしく楽しく生活ができれば、免疫も上がり、寿命も延びたり、ひょっとしたら私の体験のように腫瘍マーカーの数値が通常値まで下がる可能性もあるかもしれません。
1ヶ月の命が3ヶ月延びるかもしれません。3ヶ月の命が半年に延びるかもしれません。それはなんとも言えないのですが、とにかく穏やかに楽しい生活は体に何かしらの変化を与えると思います。
そのような施設があったらいいと思いませんか?
保護犬、保護猫カフェを併設し、子供達には無料で動物たちと触れあえるようにし、動物も人間と同じ暖かい血の通った生き物だということを肌で感じてもらい、優しい気持ちを育むお手伝いをできるかもしれません。また動物が好きでもお家の事情によって飼うことのできない子供達へ居場所として提供できるかもしれません。
あれもしたいこれもしたいと次から次へと頭に浮かんできます。
私が大切にしたいのは人や動物への「愛」です。
本業の建築もこれから始めようとしているアニマルセラピー付きのホスピスも全てが愛がなければ薄っぺらい上辺だけのものになってしまいます。
正直どのくらい時間がかかるかわかりません。
まずは本業を立て直し、従業員を路頭に迷わせないようにしっかりと舵を握り、前に進んで行かなければなりません。
母の介護と家の事をしながらの仕事なので、なかなか自分の時間が作れず、睡眠時間を削って突き進んでおりましたが、父が亡くなりあと一ヶ月で一周忌という時に、突然
左側の顔面神経麻痺になりました。それまでは瞼の痙攣が治まらず、眼科に通っていたのですが、医師曰く、睡眠時間をとらなければ治らないと言っていたのですが、なかなか守れずこのような病気になってしまいました。
過労やストレス睡眠不足を放っておくと、このようなとんでもない病気になってしまうんだなと思い、生活改め、仕事は定時で辞めるようにし、母の食事の支度やお風呂に入れたり犬1匹保護猫4匹の世話など、ぐったりしながらも仕事終わりもやることがあるのですが、病気をしてから無理はしないように体を労って生活をしております。
自分のことはあまりかまえず、化粧も手抜きになってしまいよく指摘を受けたりしますが、
どうぞ多めに見て下さい。
みんなの心が穏やかで平和でいるのが私の望みです。
もし何かアドバイスがあればいつでも教えて下さい。
みなさんと一緒に幸せの種を蒔き、世界が美しい花で溢れることを願います。

心を込めて

五十嵐建設株式会社
代表 五十嵐 瑞恵