木村 隆弘

私について

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「人生には3つの坂がある」と言われております。
上り坂・下り坂は、すぐにイメージしやすいと思いますが残りの1つは「まさか」なんですね。

その「まさか」をこの10数年で2度も経験しました。

1つ目は、2011年6月17日AM3:22分に20年の月日を共に過ごした最愛の妻を癌の為に看取った事。前年の春先から、むせるような咳が続き顔色は今ひとつ良くなかった。今にして思えば・・・にはなってしまうのですが、その時には既に病魔は相当進行していたと思われます。病気発覚に至ったのは、なんと首の痛み。ずっと痛がっていて、最終的に市内の総合病院を受診し、頸椎内の軸椎と言われる部位の骨折、癌細胞の骨転移が原因でした。相当痛みは激しかったはず・・・そんな妻を襲ったのは「非小細胞肺癌扁平上皮癌」。統計上60歳以上の喫煙歴のある男性の罹患率が最も高いと言われており(当時)喫煙歴も無ければ、40代女性である妻が罹患してしまった事に主治医も首をかしげておりました。進行が早い厄介なタイプでした。
事実上の余命宣告は数週間と告げられ、絶望的な感情しか出て来なかった。
それでも当時、13歳・10歳・5歳の子供達とも向き合わなきゃならないし、仕事も家事も疎かに出来ない中で、ほぼ毎日病院に通い、時に子供達の顔を見せて家庭的な雰囲気作りを意識しておりました。妻の「母親」としての姿は病室でも変わらず、子供達の話に耳を傾け丁寧に、受け答えしていました。恐らくですが、しんどい時もあったはずだし抱きしめたい時もあったでしょう。特に次男は当時年中さんででしたので、その想いは大きかっただろうな・・・

あくまでも個人的な想いですが、男女平等と言われて久しい世の中ですが「母親」ってやっぱり特別な存在なんだと思います。十月十日お腹の中で子供を育て、命がけで出産をして、その後何十年と時を過ごす。私もそうやって命を授かりこの世に誕生し、今こうして生きているのは両親の存在があり、母親が命がけで産んでくれたから。これは間違いありません。

妻の「母親としての顔」が私は大好きでした。子供達の笑顔も泣き顔もふて腐れている顔も全てを受け止めて寄り添う妻の「母親像」は二度と見ることが出来なくなってしまいましたが、私の記憶が確かなうちは忘れる事はありません。そして子供達の中の「母親像」も変わる事無く残り続ける。

私は今も尚、人として・女性として・妻として・・・そして母親としての妻を心の底からリスペクトしております。そんな妻から「子供達」という名の命のバトンを託されました。ものすごい重責を担いましたが、妻が命がけで産んでくれた大切な3つの命を育んで来ました。時に実母の力を借りたり頼ったりしながら、早いもので12年という日が過ぎ去りました。

そして2つ目の「まさか」は妻亡き後の10年目の節目の年に・・・
この年は、長女が専門学校を卒業して社会へと、次男が中学校を卒業して義務教育が終わり高校進学の年でした。春先のある日の朝、いつも通り朝食の準備をしようとソファーから立ち上がり台所へ向かう僅か数メートル・・・目の前がグラグラしてまともに歩けない程の目眩が発症。既事業が繁忙期だったのもあり、疲れているのかな?位にしか思わず、その日は横になって身体を休めました。
しかし、翌日になっても回復せず、ひたすら横になっていたのですが心配して家まで来てくれた知人が病院へと連れ出してくれました。自分では車の運転もままならない状態でしたので。
取り急ぎ耳鼻咽喉科を受診しましたが、特に異常は見当たらず・・・しかし目眩は相変わらずなので目眩止めの薬を処方してもらい帰宅。薬のお陰か?目眩の頻度は軽減したけど改善はされず、横になっているだけの生活は続きました。その後、長男が勤務する整形外科のクリニックを受診し首回りのレントゲンを撮ったりするも、やはり異常なし。

心配した両親が、自分としては一番行きたくなかった脳神経外科の受診を強く勧めるので、腹を決めて受診。その日のうちにCT検査を実施。数日後結果を聞きに行くが、CTだけでは異常が見つけられない場合があるとの事で、MRI検査を1ヶ月後に予約。その間、まともに日常生活も仕事も出来ず不安ばかりが増幅する日々を送りました。そんな中でどうしても参加しなきゃならない行事がありました。
それは、次男の高校の入学式。目眩は軽減して、何とか車の運転が出来たけど、またいつ強烈な目眩に襲われるか・・・常に不安でストレスでした。コロナ渦でもあった為、短時間で入学式が終わり何とか役割を果たす事ができました。

そして、MRI検査を受けましたが、結果は約1ヶ月後。血液検査の結果コレステロール値が高いので、抑制する薬を処方され帰宅。またもやあの辛い不安な日々を過ごす・・・収入は激減する、しかし支払いは待ってくれない・・・様々な不安が渦巻いており精神的に相当きつかった。

そして1ヶ月後。告げられた病名は「硬膜動静脈瘻」。
10万人中0.3人という発症率のレアな病気。
簡単に説明すると、本来生まれ持った脳内の血管(動脈)に、何かしらの要因で静脈が直接繋がっている。通常、人間の血管は、心臓をから血液を送り出す動脈、心臓に血液を戻す静脈の2種類から形成されていて、それぞれの性質上動脈は静脈に比べると頑丈に出来ているそうで、それらの差異を緩和するために毛細血管を通るという仕組みなんだそうです。ですから、質の異なる動脈と静脈が直接繋がると言う事は、弱い方の静脈の破裂リスクが通常の4〜8倍くらい跳ね上がり、尚且つ発症部位が脳幹の近く(更に数千分の1の発症率)なので、外科的手術は実質不可(後遺症リスクが高すぎる)で、血管内カテーテル手術も、患部に到達するまでに90°以上の曲がりがある為に難しい・・・
結論としては「経過観察」。

もうね・・・絶望感しか無かったです。何で俺ばかり・・・
悔しくて悲しくて生きているのが辛かったです。生きる事に希望が持てませんでした。

告知された日と翌日は、子供達に事情を話して好きなように過ごさせてもらった。
薬のお陰か症状はかなり落ち着いてはいましたが、不安は常にありました。しかし、じっとしていると頭がおかしくなりそうなので、車で出かけました。
気が付けば県北部の山中に居て、途方に暮れながら木々を見つめていた・・・
そういう心境だったのでしょう・・・

しかし、妻や子供達・両親の顔が脳裏に浮かんで、自分を取り戻したと同時に大声で泣き崩れてしまいました。

「生きたい・・・」

素直にそう思ったのです。

そこから先は、まずは自分を優先し身体のケアと生活習慣の見直しを始め「生き方を変える」事を
目標として、現在に至ります。


私の経験が、1人でも多くの方に届き「生きる事」「夫婦・親子のパートナーシップ構築」「命の尊さ」を感じ取って頂けたなら嬉しいです。

長文ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。

                                    木村 隆弘