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わたしたちについて

cozy farmの「せとか」をご愛顧いただき誠にありがとうございます。

当農園は私で3代目になります。
初代(祖父)が戦後、中国(旧満州)から宮崎へ戻り、山を切り開いて始めた「温州みかん」の栽培。
これが現在の「せとか」栽培の原型です。

その後、長男であった私の父が後継し、農地を広げていきました。

ところがその頃、「オレンジの輸入自由化」によってみかんの価格は暴落。
我が家も大打撃を受け、他の作物への転作を余儀なくされました。

子ども4人を育てるために、両親は農地を購入して栽培面積を広げ、まずは“大根”の栽培。
冬の寒風を利用した「干し大根」づくりを始めました。

私たちも学校から帰ると、トラックに山積みの大根を洗う作業が待っていました。
宮崎と言えども、冬の水はとても冷たく、”しもやけ・アカギレ”が絶えない日々。
今でこそ兄妹間での懐かしい思い出話ですが、当時は本当に辛かったです。

子どもの成長とともに周年での収入が不可欠となった我が家は、“施設園芸(ハウス栽培)”へと移行。
一気に4,000㎡のビニールハウスを建てて、トマトやナス、ピーマン、キュウリ、花はガーベラなど、父は単価が高いと聞けば何でもトライしていた気がします。

私が大学院生の時は3人が大学在学中。
両親は朝早くから深夜1時〜2時まで、収穫から箱詰め作業に従事。
睡眠時間が3,4時間の日が半年ほど続いたそうです。

子ども4人が大学を卒業し、社会人となり、それぞれ結婚。
ようやく両親が一息つけたその時、父親が“脳梗塞”で倒れました。
迅速な対応が幸いし、後遺症もなく、2週間程度で現場復帰できるまで回復。

パートさんを雇いながらトマト栽培を続けていたのですが、もう少し“体力を使わない作物”がないものかと日々考えていたそうです。

そんなある日、ふとテレビをつけたら、ある「みかん」が取り上げられていて、ゲスト全員が「こんなジューシーなみかんは初めて食べた!!」と絶賛。
これが「せとか」でした。

両親は「これだ!!」と確信し、翌日早速苗を注文しました。

露地でミカン栽培をしていた経験が活かせると思ったのでしょう。
翌日、早速JAに苗を注文し、3分の1の面積を「せとか」に切り替え、栽培3年目から販売可能な品質で収穫できるようになりました。

毎年少しずつ面積を増やし、最終的に現在の面積「7,000㎡」(800本定植)まで規模を拡大していきました。

「せとか」栽培が軌道に乗った頃、父が農作業中に2度目の“脳梗塞”。
たまたま母親が近くで農作業を行っていたため、また奇跡的にも大事にいたらずに済みました。

しかし、農作業時間の制限を設けざる得なくなった父と、その分負担が増える母。

帰省する度に、兄妹の中では「これからこの家はだれが守るのか」という話になりました。
それは長男である私が家を継ぐ、というのが、素直な選択だとは分かっていました。

サラリーマンとして定年まで働けば、それなりのポストにたどり着くはず。
でも、定年後に帰郷したところで、両親が苦労して広げた農地は確実に荒廃しているだろう・・・

とても悩みました。
悩み尽くしましたが、何度考えてもたどり着く答えは同じでした。
“家業を継ぐ”そして“この土地を守るのが僕の使命”ではないかと。

帰郷した私は平成29年1月から正式に農業経営者となり、この「せとか」と向き合う日々を過ごしています。

大好きな“宮崎”で、祖父と両親、私を支えてくださったすべての方々への感謝を込めて、「せとか」作りに励んでいく決意をいたしました。

この「せとか」がより多くの皆様に元気と笑顔を届けられますように…。