ファームさや

カラーピーマンと私

北海道の小さな村。

青い空、ウグイス、カッコー、鳥達のさえずり、セミの鳴き声、風の音、ハウスの周りはいつも心地良い音に包まれています。


山々に囲まれたカルデラ盆地でカラーピーマンの生産に励んでいます。

50メートルハウス(4棟)
朝1番、ハウスの扉を開けると
ずらっと並ぶピーマン。
なんとも言えないいい香りが漂う中。

『おはよう!』
『ありがとう!』
『今日もよろしくね!』

我が子のようなピーマンに声をかけるところから1日がスタートします。

カラーピーマンを通じて食べてくれた人の食卓に笑顔と彩りを提供出来たらいいなという想いで日々、生産に励んでいます。


今まで色々な仕事をしてきていつも人間関係で悩み苦しんでいました。
自分の声を出すこと、表現すること、NOということが出来ずずっとモヤモヤとともにいました。
最後には自分を責めて否定して自滅。
そんな中でいつも私を慰めてくれたのは山々木々、草花、動物達でした。私は土の上で生きたい!自然を身近に感じながら暮らしたい!という想いは、どんどん強くハッキリしていきました。

富士山山小屋でのアルバイト(4年)
図書館司書、OL、ヨガインストラクター
都会の人混みや人間関係に疲れ切っていた私は仕事帰りに川べりに繋がれている馬を見て『私もあっちの世界に行きたい』とその時行きたい方向が決まりました。
そこから、牧場住み込みで働くこととなったのです。

全くの未経験者であった私は
毎日、牛と豚の世話をし牛乳工場や売店の仕事に明け暮れました。

私は男性に苦手意識があり、一生独身でいると周りにもそう言っていました。

唯一の話し相手は、牛と豚。

ある冬の日、新しいバイトの人がやって来ました。

後の夫になる男性です。

牛(メス)豚(めす)人間(男)

私は迷うことなく人間を選んだのでした。

彼は農家の長男(本家)。両親と祖父母が
いました。(酪農もしていました)

私は畑に関しては全くの素人。
嫁いでからは右も左もわからずでしたが、
頭に?マークをつけながら毎日を必死に過ごしていました。

農家に嫁いで3ヶ月が経ったある日
義母が牛舎で急死。

その日から本家に入り義父との同居生活が始まり今に至ります。

苦手だった人間関係も初めてのカラーピーマンもトライアンドエラーの繰り返しで
少しずつ慣れていきました。
この環境が私にとって必要なことを学ばせてくれたと思います。

毎年、気候も違い台風に翻弄されたり
しますがカラーピーマンを通して人と繋がり私の世界は広がっています。

土の上で暮らし、自然の中で働けることに
喜びと感謝を持って美味しく笑顔になるカラーピーマンを作り続けていきたいと思います。


私の作ったカラーピーマンを食べてくれた人が笑顔になって喜んでもらいたい!

ピーマンハウスの日常や生育状況などを発信して沢山の人に興味を持ってもらいたい!

ピーマンの美味しい食べ方、様々な可能性を探求しつつマイペースに歩んでいきたいと思います。


目で見て美味しい!
カラフル!華やか!フルーティ!
皮が薄くジューシーなカラーピーマンです。

オススメは生でバリバリ!丸かじり!
ジュワッと水分が口の中に広がりサッパリ爽やかな味わいを楽しめます。
暑い日には水分補給にも!
あなたの食卓に元気と彩りをお届けします。