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私達について
当山の開基は元禄5年(1692)です。今を去ること330年前、笠岡に橋野與左右衛門という方が住んでおりました。この方は伯耆大山の山神様である『大仙智明大権現』様を、日頃より熱心に信仰しておりました。ある日突如熱病に冒され危篤状態となった際、夢枕に『大仙智明大権現』様が現れて「日頃の信心に免じてお前の寿命を延ばしてあげよう。その代わり元気になったら予を笠岡にて斎(いつき)祀るべし。」と仰せになられた。與左右衛門が誓うと熱病は一夜にして平癒しました。約束を果たすため與左右衛門は京都に上り、弘法大師ゆかりの名刹である大覚寺にて出家。名を政範と改めて修行を重ね、伝法灌頂の職位を授かり阿闍梨となりました。笠岡に帰る途次に伯耆大山に参詣し『大仙智明大権現』様の分祀御霊を頂戴し帰郷しました。さて、無事笠岡に戻った政範上人は「ああ、しまった。笠岡のどこに鎮座お祀りすれば良いか、お尋ねするのを忘れておった。」と嘆いたところ、2度目の夢告があり「善哉、善哉。約定を果す心根大いに嘉し。明朝、松木に勝縁の地を尋ねるべし。」との仰せあり。朝になって表に出てみると、松木が一点を指してみな尽く傾いておりました。現在当山境内にその時の松木が一本だけ残っております。この故事に因んで当山の山号を『佛松山』と称します。爾来、今日に至るまで当山は一度も動座(移転)する事無く、勝縁の地を守っております。従って本尊様の加持力を戴くのに、当山本堂で拝むのが最上であり、威力増長する理由なのです。