日月 宙〜ひづきそら

私の想い

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どうかあなたが、本来ありたい自分を見つめ、希望に目を向けられるよう、共にありたいと思います。

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〜〜 ヒーリングとの出会い 〜〜

2019年夏、母が臓器不全のため亡くなりました。

私は幼少期より母に甘えた記憶がありません。

なぜかというと、両親は、身体が弱く入退院を繰り返していた妹に、つきっきりでした。

まだ幼かった私は愛情を独り占めしている妹に嫉妬し、「私は1人でも大丈夫!」と強がって、ホントは寂しかったり、話を聞いてほしかったり、という気持ちを押し殺してしまう「クセ」を身に着けて成長しました。

大人になって、母が脳梗塞やリウマチ、糖尿病のといった病気を患い、老夫婦で暮らすことが難しくなり、同居が始まってからも、心の距離が縮まることはありませんでした。

母とのコミュニケーションの取り方、寄り添い方がまったくわからなかったのです。

母が無くなる2ヶ月前までは…。


いよいよ母が遠くへ旅立ってしまうかもという頃。

しゃべることも難しく、弱っている母。

毎日目の前にして、私は自然と母に触れるようになりました。

もちろん介護やヒーリングで触れていましたが、本当の思いを込めて触れることは今までなかったように思います。

手に触れ、頬に触れ…

そして、

心に触れる…


母さん、ずっと抱きしめて頭を撫でて欲しかったよ。

何故妹はちゃん付けで呼ぶのに、私はさんつけなの?

声のない私の問いに答えるように、『ごめんね。でも同じように大事に想っていたよ』の声が脳に響く

そして母の傍らで泣く私の頭を撫でる母の手…


「ヒーリング」


母は、私のヒーリングがとても好きそうでした。

手を当てている間は、母は本当に気持ちよさそうに微笑みながらウトウト眠っていました。

何度かの危機的状況を乗り越えつつ、本当に命を使い切って母は逝きました。

最後まであまり痛みを感じることなく、穏やかに過ごしてくれたことが私の救いです。

最後のお別れの瞬間に流れた涙は、言葉で表現するのは難しいですが、忘れることが出来ません。


母を看取って以来、私は「人が生きて死ぬ」ということ、人間関係の修復など、深く意識するようになりました。

そして、私の師に言われた一言が、背中を押してくれました。

「この中で、ゆりかごから墓場まで看てあげられるのはあなただよ…」と。

私がナースとケアマネージャーとしての知識を経験を経て、ヒーリングに出逢ったのは、この為だったと腑に落ちました。


数年前、妹が腎臓の臓器提供をすることになりました。

いくつもの検査や医師による問診を経て、手術当日を迎えました。

私は手術後4日くらいまで、毎日遠隔ヒーリングを行いました。

彼女からの電話で「医師や看護師さんがビックリするくらい痛みも無くて、スタスタ歩けるんよ。おねえちゃんありがとう!」と。

実際の西洋医学の看護の限界を感じていた私は、治療にヒーリングをプラスして皆さんが元気になるお手伝いができると確信しました。


◎手術前後の痛みの緩和

◎治療の効果の補助

◎頭痛や関節痛、疲労と言った慢性的な不調


これらの辛さを緩和することで、

本来ありたい自分を見つめ、希望に目を向けられるように…

また、最後の時をなるべく自然に愛する方と過ごしていただくことが出来るように…

病院や施設にいらっしゃっても、遠く離れたところからでもそのお気持ちを届けられるように…

私、日月 宙(ひづき そら)を使っていただきたけたらと思います。


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