おとうま農園とは
「命を育み 人を育み 夢を育む」
野菜を育て、人としてのありかたを発見し、夢に向かって歩んでいくために日々励んでおります。
不登校の経験を活かして農園の運営に携わっております。
学校に行きづらくなり、引きこもったり、あてもなく街をさまよったりした経験のなかで学校という"決まりきったレール"の上ではなく自分たちなりの人生を模索することで”農業”という新しい道を探り当てました。
学校といえば勉強。
ただ、今の学校教育のなかでは”勉強=受験”のためになってしまいます。
受験という競争を強いられる学校にどうしても馴染むことができずに不登校したのが自分たちです。
競争の中では生きていけない、しかし学校という道以外に選択できるものがなく立ち止まってしまいました。
進む道がわからなくなり苦悩する中で、自分たちはどういった生き方を選ぶべきなのかを無意識のうちに探していき競争の中で自分だけが一等賞を目指すのではなく周りにいる人と共に成長し助け合うこと
”共生”
という生き方に心地よさを感じる自分を発見しました。
”共生”という生き方を模索するにあたりまず大前提として自分たちが生きているということに目を向けてみました。
人が生きるために必要なこと、それはまず
”食”
にあります。
農耕民族としての日本人に生まれて”食”を考えれば、
”農業”
が第一といっても過言ではありません。
にもかかわらず、農業人口の減少がうたわれています。
であるのなら、”農業”で身を興すしかないというのが一番の想いでした。
ただ野菜を作って皆さんのもとにお届けすることが農業ではありません。
その野菜を食べていただく皆さんが「おいしい」と言っていただけるような野菜をつくること、そしてその野菜から明日に向かうエネルギーを得てもらうことが最終目標です。
そのためにも、いかに野菜が育ち、収穫できるかを考える必要があります。
野菜を育て、人としてのありかたを発見し、夢に向かって歩んでいくために日々励んでおります。
不登校の経験を活かして農園の運営に携わっております。
学校に行きづらくなり、引きこもったり、あてもなく街をさまよったりした経験のなかで学校という"決まりきったレール"の上ではなく自分たちなりの人生を模索することで”農業”という新しい道を探り当てました。
学校といえば勉強。
ただ、今の学校教育のなかでは”勉強=受験”のためになってしまいます。
受験という競争を強いられる学校にどうしても馴染むことができずに不登校したのが自分たちです。
競争の中では生きていけない、しかし学校という道以外に選択できるものがなく立ち止まってしまいました。
進む道がわからなくなり苦悩する中で、自分たちはどういった生き方を選ぶべきなのかを無意識のうちに探していき競争の中で自分だけが一等賞を目指すのではなく周りにいる人と共に成長し助け合うこと
”共生”
という生き方に心地よさを感じる自分を発見しました。
”共生”という生き方を模索するにあたりまず大前提として自分たちが生きているということに目を向けてみました。
人が生きるために必要なこと、それはまず
”食”
にあります。
農耕民族としての日本人に生まれて”食”を考えれば、
”農業”
が第一といっても過言ではありません。
にもかかわらず、農業人口の減少がうたわれています。
であるのなら、”農業”で身を興すしかないというのが一番の想いでした。
ただ野菜を作って皆さんのもとにお届けすることが農業ではありません。
その野菜を食べていただく皆さんが「おいしい」と言っていただけるような野菜をつくること、そしてその野菜から明日に向かうエネルギーを得てもらうことが最終目標です。
そのためにも、いかに野菜が育ち、収穫できるかを考える必要があります。