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2号目 平安時代・戦国時代の宿曜経

おはようございます。
新年度が始まり、緊張感が続いているのではないでしょうか。
今週も睡眠をしっかりとりながら乗り越えてくださいね。

さて昨日は、宿曜占星術最高師範 竹本光晴先生の梅田のオーナーズタワーマンションのスカイラウンジで「月とうさぎ」開設にあたり、お茶会を開催していただきました。お陰様でお仲間の皆様とワクワクの楽しい貴重な時間を過ごすことが出来ました。
人間性・人格の向上に向けて目指すところは同じなのだとあらためて認識することが出来ました。
私の目標は師範として宿曜マスター育成を実践することです。
関心がある方は、お得な価格の今うちに是非お申し込みください。

宿曜経は時代を通して様々な場面に登場します。
平安時代、当時の平安貴族の間で大いに人気を博し、紫式部『源氏物語』に「宿曜経のかしこき道の人」と記述がある事から、その評判を知ることができます。
「桐壺」の巻では主人公の光源氏が誕生した際、宿曜師にその運命を占わせる場面も書き下ろされています。また、藤原道長の日記の暦注の中にも書き記されています。

時が流れて戦国時代、宿曜経は皮肉にも戦術をサポートする軍師の役割として活用されるようになります。
一説には、織田信長も敵対する武将との相性を占い、戦いに赴いたという話もあります。
武田信玄の軍配にも27宿が描かれています。
当時の武将は、敵に生年月日を知られては勝利の妨げになると考えて、生まれた日を隠したりしたそうです。戦国時代のの武将は宿曜経を活用して戦術を立てて、自分に有利な戦況に持ち込もうと必死だったに違いありません。それは命懸けでしたから・・・。

江戸時代に入ると、徳川家康の側きん、天海僧正が宿曜経を活用したと言われています。
天海は徳川家康【斗宿】と全国の大名との相性を占い、配置転換になどを行ったそうです。

子供のこれまでの成長を祝い、さらなる今後の成長を祈念する七五三の行事にも宿曜経が使われています。発祥は諸説ありますが、旧暦の11月15日に固定化したのは、三代将軍・徳川家光です。家光の四男である、幼名徳松(後の五代将軍・綱吉)が病弱であることを心配し、綱吉の無事と成長を祈るために、袴着の儀式や修法を行ったのが旧暦の11月15日です。

この日は満月で「鬼宿」に当たり、あらゆる事に大吉とされる吉祥日だからです。
また、お釈迦様(ブッダ)の誕生にも由来する日とも言われています。後に庶民もこれに習い、現在の歳時として引き継がれています。
時代を通して、様々な場面で活用されてきた宿曜経は、その余りの的中率の高さに江戸時代に徳川幕府は宿曜経を封印してしました。
 時が経ち、明治以降に再び宿曜経は宿曜占星術として見直され、近年注目を浴び始めています。
 歴史は語る・・・・ 皆様とご縁がつながりますように。
                        感謝○合掌 千照(僧名:せんしょう)
                            
 

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