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『こころころころ』。  西連寺です。  

「これほんのお裾分けです、よかったらどうぞ貰って下さい。」

「まあ、これはこれは有難うございます。お返しという訳ではありませんがこれ、よろしかったら。」

 頂いたものがオドロキ喜び恐縮することがございます。
     「わらしべ長者みたいですねえ、すみません有難うございます。」


 一本のわらしべにアブをくくりつけて歩いていると 泣いている子供に請われて差し出す、お礼にと蜜柑をもらう。   道端で具合の悪そうな娘さんにその蜜柑をあげると、お礼にと反物をもらう。   請われるままに次々交換していってついには裕福立派な長者になりましたとさ、めでたしめでたしのお話。

 インド近くにて仏教盛んな幸福の国「ブータン」にも似たようなお話があります。

      『 ヘレヘレじいさん 』

 貧しくとも気のいいおじいさん、ある日畑の切り株の下から大きな宝(トルコ石)を掘り出しビックリ!  
これは町に行って売れば大変なお金になると嬉しく抱えて歩きます。    と、道で出会ったひとに交換を申し出られ「牛」と交換します。    また歩いていて「羊」と交換。   「鶏」と交換。    次に出会ったのが何とも楽しそうな唄を歌っている男。   おじいさん「なんて楽しい唄だ! この鶏をあげるから、その唄を教えてくれ。」   つまり最後は唄を歌って帰っていきます。・・もちろん手ぶら。

 「わらしべ長者」とちがって交換するたびにどんどん見劣りのする?価値の低い?ものになっていきます。
最後は「唄」ですよ「唄」・・・・・・でも、おじいさんが歌うこの「唄」はこの先沢山のひとを楽しませたそうです。  歌っても歌っても決して減らないこの「唄」で周りの皆んなはとっても幸せになったそうです。

 ブータン。  損得で言えば、多少 (かなり?) 損したようでも誰かをみんなをよろこばせ楽しませてある姿に接すると 「 『ヘレヘレじいさん』見たい! 」って笑い合うんだそうです。  何ともなんとも。


 さてさて「わらしべ長者」の始まりをご存知でしょうか。
いくら努力しても暮らし向きが良くならず困り果てた男、観音さまの 「このお堂を出て最初に手にするものを大事にしなさい」 というお告げを聞いてたまたまコケて手にしたのが「ワラ」だったんです。

 お告げで大事にせよといわれたものを(たとえワラでも) ひとに容易くあげれるでしょうか。  お堂で祈り疲れるほど信頼している観音さまの『お告げ』。    大事に持っていなければ生涯幸せになれないかも・・・・わたしにはチョット・・しかしこの男は差し出した。

泣いている子、苦しんでいる娘さん、捨てられそうで可哀そうな馬・・悲しんでいる辛そうな他者のこころの痛みが自分の痛みとなって寄り添い、思わず手を差し伸べずにはおれない【こころ】をもっていたんですね。

さかのぼって、観音さま。「大事にするのは、最初に手にするもの」と仰った。
ワラでなくとも良かったかも知れません。「身近なもの」、一番身近なのは男の中にある「こころ」を大事にする。    この男の心根をご存知だったのかも知れません、観音さま。    そこに映る「出会うひとの心を汲み取るこころ」を大事にしているうちに 【 わたしもあなたも仕合わせになった 】というお話でした。
                    「ヘレヘレじいさん」のお話に通じるものを感じます。

 「お返し」の行ったり来たりは、モノが行ったり来たりしているのではなく、あたたかい「こころ」が行ったり来たりしていることなど承知のわたくし達ではあります。   が。  が。

 ひとつ間違えばクルリと刃をむきだすのも この「こころ」。
「お返し」ならぬ「仕返し」を考え、夜な夜なハンカチ噛みしめ仇討ち「討ち入り」の策練り上げたりせぬように。    わが心を大事にする、ということは 決して 意にくわぬ他者を排除して「我がこころの思い通り」大事、って事ではございません。    ご用心 ご用心。

  春風花草香 心地よい頃ではございますが、くれぐれも お身体 「おこころ」 お大切念じ申し上げます。    

         西連寺 住職  拝 



 

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