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Aya母乳育児相談室 私が助産師になったわけ③

念願叶い助産師として松江生協病院で勤務。生協では、産後の家庭訪問、マタニティヨガや産後ヨガ、育児サークルなど幅広く活動させていただけました。妊娠中からヨガ教室に通われ、分娩介助、家庭訪問、育児サークルで長く継続して関わらせていただけたママ達とは、20年経っても交流があります。生協では、こうした継続ケアができたことが本当に大きな学びとなりました。

28歳、結婚のため生協病院退職。
夫の転勤先の倉吉で半年間、専業主婦というものを経験しました。これもすごく私にはいい経験となります。
先輩開業助産師から依頼を受けて、自宅出産のお手伝いや産後の家庭訪問なども経験したのですが、それはごく一部。
専業主婦ってつらいんですね。知らない土地で下手すれば誰とも会話することなく一日が過ぎ、、、。自分の声を忘れ、声が出なくなる不安さえ覚えました。夫の帰りを今か今かと待ち、足が棒のようになった日もありました。

社会から閉ざされた日々・・・。限界!!

そして、再び助産師として鳥取県立厚生病院の産婦人科に就職。継続ケアの大切さが身についている私は、ここで壁にぶつかります。生協では、自分がお産に関わった母子は母乳育児が軌道に乗るまでフォローしたり訪問や相談も積極的に行いました。しかし、県立病院はこれができないのです。呼び出しをくらったこともありましたが、内緒でお母さん達のフォローをしていました。
もちろん生協時代も県立病院でも無償ボランテイア!
若かったですね!
情熱だけで勉強し、情熱的にお母さん達をフォローし続けました。

「母乳育児支援」
これが最大の親子に求められていることだと確信します。

夫の理解もあり、30歳で桶谷式乳房管理法研修センターを受験します。
家族には、「おまえは一体何年学校へ行くんだ」と笑われます。
確かに・・・、看護学校5年、助産師学校1年、そして桶谷1年。
勉強嫌いで頭の悪い私ですが、20代は本当に努力したなと自画自賛していますが・・・。
ただの負けず嫌いだったかも。

単身、夫を残し東京へ。
1年間、母乳づけで勉強、実習の日々。これが助産師学校よりハード!
一年で文献研究1例、事例研究3例、卒業研究1例、そして、難しい手技解説本の暗記。
何とか、無事に認定試験を終え、1年で松江に帰ります。

さあ、帰ったのはいいですが決定的な事件が起こります。
つづく・・・。


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