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私が助産師になった訳

今日は、私がなぜ助産師になったのか?
ちょっと皆さんにお話ししてみたいと思います。

私は、3歳まで現在の相談室のある敷地内の実家で幼少期を過ごしました。
父が転勤族だったため、3歳から18歳までは、3年毎に全国転勤。
小学校は尼崎、鳥取、千葉、中学校は芦屋、高校は熊本で過ごしました。
高校生のころは、母親から短大に行き、事務系の仕事に就くよう勧められたのですが、
まったく興味がありませんでした。
そのころ、キツイ、汚い、給料安いなどと看護師は3Kや8Kと言われ、看護師不足がよくTVで報道されていました。
大学に進むより、やりがいのある仕事に就きたいと思い、看護学校進学を決めます。
高校から推薦で京都の看護学校に行ける話を頂いたのですが、跡取り娘の私は祖母に「変な虫がついたら困る。勘当だ!」と言われ、それでも行く!と言ったのですが、両親になだめられ、仕方なく、実家の近くの松江准看に進学。
准看は、働きながら学校に行くという決まりで、学校から配置された精神科に見習い看護師として配属されます。
朝8時から12時まで精神科で働き、午後13時から16時まで看護学校。再び17時半から20時まで精神科で働く・・・という生活を3年間続けました。2年目からは夜勤も始まり、16時半から朝9時まで仕事、昼13時から看護学校という日々でした。配属先が精神科ということで、「なんで私が精神科?」きっと熊本から来たから変なところに行かされたなどと、勝手に決めつけていました。
しかし、この精神科勤務が私を助産師の道に導きます。
看護学生時代の私は、精神分析や心理学にはまり、もともと本を読むのが苦手だったのに、暇を見つけては読みあさりました。
フロイトの精神分析「母乳を享楽してこそ心が強く育つ!」「子どもの性格形成は3歳までに決まる」など、強く私のこころに響いたのです。
母乳の大切さ、性格形成のおもしろさを感じ、ここで「助産師になりたい!」と思うのでした。
つづく

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