mail magazine backnumber
メールマガジン バックナンバー
ブラザーズ珈琲物語15
ブラザーズ珈琲物語15
自家焙煎コーヒーは人生修行
それはこのコーヒー焙煎を通して多くの方々の教え、知識、経験、思いやりなど物や金銭では代えられない人間として最も大切なことを教えてもらった思うようになった。
私はコーヒー事業又は、会社経営を通じて数百人の顧客、業者、行政の方々と出会いし、お世話になった。
また、FACEBOOKでは五千人近くの友達がいる。
それ以外でも親せき、同僚、地域など無限の人間関係があったはずである。
それは人生の宝箱であったはずである。しかし、全くそれに気が付いていなかった。
そもそも、この世の中で自分の立ち位置を自覚していなかったように思う。
又、個人において、家庭において、社会において人間の立ち位置はどんどんと変化するものである。
昔は良かった、あの時は良かったと思うことは自由であるが、良かったのは過去である。
過去は替えられないが、未来は造る事が出来る。
十年前に定年退職して、のんびりと又は細々と暮らして、趣味三昧の暮らしをしても良かったはずである。
しかし、私が選んだ道は余生を楽しむ老後ではなかった。
現代社会では六十歳は老人ではない。円熟した現役戦士である。
じゃぁ、何をするか、ITでもなく、金融投資でもなく、インテリジェンスビジネスでもなく私が飛び込んだのは冒頭に紹介した通りのこの自家焙煎のブラザーズ珈琲であった。
このような道に足を踏み入れようとは自他ともに想像すらできなかった。
人生、一寸先は闇だというが、闇か光明かは別として予測不能であることは間違いない。
私の願望はもう一度大学に行き、大学院に行き博士号でも取って学術を極めたいという思いがあった。
もちろん、未だ断念している訳ではなく文科省認定放送大学の在学生である。
しかし、現実は厳しいものである。
殆ど単位は取れていなく、中途半端である。
実際私が足を踏み入れた老後は未経験の予測不能な自家焙煎珈琲コーヒーの世界だった。
これが良かったか、悪かったか誰も分からない。しかし、ハッキリしていることがある。
それは、自分で決めたことである。
故に自己責任である。
当然のことである。
昨日も一日中、満身創痍の一日だった。
多分、今日もそのような一日がくるはずだ。
自家焙煎コーヒーの経営である。商学も経営学分からないものである。日々学習であり、情報収集であり、且つ修行の場である。
毎日が己を奮い立たせる連続である。
しかし、ふと思う時がある、もっと楽な道はなかったのかなと。
きっと、あったであろうがこの道を選んだのは自分である。
神でも仏でもなく又は他の誰かでもない。
かと言って、自家焙煎コーヒー事業に不満や不安を感じているわけでは決してない。
最近になって思うことは、私にとって自家焙煎コーヒー事業は自分で選んだことは事実であるが何か不思議な体験をするようになった。
コーヒーの焙煎を通して人間生涯の教訓を教えられているように思える。
一般的にコーヒー生豆を見た人は決して多くはないであろう。
コーヒー生豆、即ち輸入して仕入れた時のコーヒーは生であるので、生豆というのである。
その色合いは、灰色、くすんだ青、セメント色である。わたしが初めて見たときは、小石か砂利かと思ったものである。
勿論、仕入れたときは農薬や、輸入時の消毒そして豆によっては汚れた状態である。
これを浸透力強い活性水素水で洗い、天日干しをすればきれいな生豆になる。
次に、生豆一粒、一粒を目視でチェックし、虫食い、変色、欠落、割れなどを取り除く作業がある。
これが結構手間がかかるが、一番重要な作業工程である。
そして、焙煎作業に入るのである。
その時のコーヒー豆は実に不思議というより神秘的である。
初めは先ほど申した通り、灰色であるが、暫く加熱すると白っぽくなり綺麗になってくる。
更に進むと、薄く淡い黄色なるがここまでは予備焙煎である。
その次に全体的に黄色になって、蒸工程に入るそうすると石のようだったコーヒー豆がふっくらとした饅頭のように膨らむのである。
更に加熱していくと風船のように膨らんだ豆がはじけて空気が抜けていくように萎んで小さくなっていく。
実はこれからが本格的焙煎に入っていくのである。
蒸が終わってからは、酸素をどんどん取り入れ更に加熱温度を上げていくと、褐色、茶色、
そして、ブラジルやスマトラマンデリンのような深煎りは黒く光り輝くのである。
コーヒー豆の中に込められた植物油がジワリと滲んで来たのである。
この時がピークである。窯から取り出し一気に冷風で急冷する。すると滲み出ようとしていたコーヒー油は豆の中に戻るようになる。
この元の豆に戻ったコーヒー油がブラザーズ珈琲の旨みの素となるのである。
まぁ普通の大量生産体制ではやらないし、出来ない作業である。
このコーヒー焙煎工程を通して人間の人生とダブっていると思うのは私だけであろうか。。。。
花と咲くより踏まれて生きる、草の心が俺は好き、なぁぁんて村田英雄の歌にありましたが、日本人は商売でも心を磨く道を求めてきたのだと最近になり分かりました。
明朗真摯、質素倹約、友愛協調、創意工夫、親孝行、先祖供養、仕事に貴賎なし、情けは人の為ならず、損して得取れ、人は自分の鏡などなど。
このような文化が江戸時代にあったので、明治を迎えて一気に世界の先進国と肩を並べることが出来たのだろうと思う。商売は奥が深い。
山陰の田舎の一角で取るに足らないアメーバー企業であるが、先日は北海道の旭川から注文が来たり、勿論、東京、近畿圏、九州などから、電話、メール、インターネットなどで注文が来る。
ひと昔前では想像もつかないだろう。
宣伝広告費など殆どかけていない、というよりかける余裕がない。
しかし、注文が来て困っているほど多くはない。
などなど、今日もブラザーズ珈琲は悲喜交々の一日になる事と思うが、事業、商売は決して独りよがりの金儲けでは無いことが良くわかる。
勿論、こんなことを言う者は世界中にはあまり多くはないという事も知っている者である。
今日は話に没頭し時が過ぎるのを忘れていました。
ここら辺で終わりましょう。