元校長社会福祉士上村伸雄|うっのまいサロン

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「生単(せいたん)」とは何のこと?

皆様 お元気ですか 元校長で
   社会福祉士のノブちゃんです

「生単」という言葉を初めて聞いた
のは,教員2年目の昭和45年4月,

特殊学級担任になり,一ヶ月ほど後
にあった郡内の研修会でした。これ
は「生活単元学習」の略で知的障害

者の教育の中心となるものだと教え
ていただいたのが,今月14日に

89歳で亡くなったS先生で,私に
特殊教育のイロハを教えていただい
た恩師でした。

 先生との付き合いは,それ以来,
現在まで続いていました。その後,

鹿児島県で初めて設置された知的
障害児の養護学校へ転勤され,そ
して県総合教育センター研究主事,

小学校長,附属養護副校長,最後
に県立養護学校校長,退職後知的

障害者施設の施設長,理事・監事
などをされていました。私はS先
生の後任で総合教育センター研究

主事,附属幼稚園副園長の時,
S先生は附属養護副校長で,一緒

に石川県金沢市であった全国大会
へ行ったことがありました。また,
退職後も,社会福祉施設で施設長

をされたり,私がある福祉施設の
施設長の時,そこの監事をされた

りしておられました。現在もある
社会福祉法人で理事を,私も同じ
法人で監事をしており,年に数回,

会合で会っていました。昨年秋に
あった理事会でお会いした時は,

お元気な様子でしたが,その後,
ガンが見つかり,急激に様態が悪
化したと聞きました。監事をして

いる施設から電話で通夜,葬儀の
連絡を受けたときは,信じられま
せんでした。

 通夜の場に,多数の先輩・元同
僚が駆け付けました。コロナ過前

は,通夜の晩に故人を偲ぶことが
できましたが,今回は,数分間お
互いに立ち話をして先生を偲ぶこ

とでした。その中で,S先生より
先輩の方が「次は俺かな」と言わ

れたのに,返す言葉がありません
でした。鹿児島県の特殊教育を牽
引してきた方々が亡くなるのは寂

しいことです。私は,S先生のお
かげで,教員生活をほぼ特殊教育

で過ごすことができたことは,
とても幸せであったと思っていま
す。謹んで先生のご冥福をお祈り
いたします。

                           

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