元校長社会福祉士上村伸雄|うっのまいサロン

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父の五十年祭

皆様 お元気ですか 元校長で
   社会福祉士のノブちゃんです
 
 1月24日,父の五十年祭をしま
した。父は,昭和49年1月25日
56歳で亡くなりました。

 今はJR九州となった,国鉄(日本
国有鉄道)を55歳で退職し,関連

会社に勤めていました。私は,27
歳で初任地の小学校に勤めており,
朝4時頃,母から父が危篤だと電話

があり,急いで鹿児島へ帰り,その
日の午前中に,息を引き取ったので
した。急性心筋梗塞で,最後の言葉
は「胸を刺すようだ」でした。

 父のことを思い出すと,幾つかあ
ります。亡くなった時,敷き布団の
下に,ズボンが敷いてあったこと

父の死後,旧国鉄から叙勲(瑞宝章
受賞)受け取り,一番大変だったの

は,完成後1年未満の家のローンで,
何とか保険で処理できたことです。
父は,旧制一中を出て,すぐに国鉄

に入り,私が小1~3年時は,鹿児
島駅の改札主任をしていました。ま

た,持病で喘息があり,時々発作が
起き,私が小4年の時,朝4時頃具
合が悪くなり,医者を呼びに病院へ

駆け付ける際,路上で警察官に止め
られ,事情を聞かれたことが思い出

します。また,詩を書くのが好きで,
よく新聞に投稿し,掲載されたもの
を切り抜いた綴りが何冊もあります。

 五十年祭に当たり,ネットで調べ
準備しました。私の家は神道で,長

男の私が受け継いだ先祖代々の古い
神棚(家の形をしたもの)が二つあ
り,扉の上に島津家の家紋がついた

ものと私の家の家紋がついたものと
あり,この中に亡くなった方の木札

と手鏡が入っています。米,酒,
塩,野菜・果物・鯛等を供え,神職
をお呼びし,お祭りをしました。兄

弟4人の中で,埼玉にいる弟を除き,
参列者は,私たち夫婦と妹夫婦二組

の6人でした。五十年祭は「まつり
あげ」と言い,これができたことに
感謝したいです。                                                  

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