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自分でものをかんがえられないヒトビト



重いランドセル 文科省が“置き勉”認めるよう全国に通知へ↓

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180903/k10011605301000.html




日本の習慣やシステムの、すべてが悪いわけではありません。
むしろ、世界にほこる文化や伝統が、たくさんあるといっていいでしょう。




アジア諸国にいく事が多くなり、何も「意識高い風の人が外から批判」をしようとも思いませんし、その任に僕はふさわしくありません。
また、そもそも”外国とくらべる”という方法論で、日本の問題が解決するのか、という問もあるかもしれない。




しかし、それでもあえていいますが、文化的に近いアジアや、交流のふかい欧州や北米の国にくらべ、この日本をおおう度しがたいほどの「トンデモ感」は、なんなんでしょうか。



たとえばですが、このニュースを、英語で欧州の人につたえる自信が、僕にはありません。英語力とか、そういう問題ではなくニュースの本質はもとより、概要そのものでも、わかってもらう事が可能でしょうか。僕は不可能だとおもう。



小学生のような小さい子供が、体重の2分の1もある荷物をせおって毎日学校にかよっている、という状況がそもそも不可解ですし、その状況を親や教職員が当然のようにかんじ、さらにさすがにそれはキツいなとおもった人の声をうけるのは当然として、役所が「学校においたままにしてよいぞ」、といわないと、改善できないなんて世の中が、他の国でかんがえられるでしょうか。



古いところでは「ノーパンしゃぶしゃぶ」という風俗文化がありました。今も(日本では)社会問題としてあつかわれている「過労死」というイシューもあります。これらは、みな外国語に翻訳するのがいちぢるしく困難、もしくは不可能でしょう。



わざわざ家に(毎日)もってかえる必要がないなら、学校においておけばいいにきまっているのです。
なんでそんな事も、自分できめさせてやれないのでしょう。もちろん、特に低学年のうちなど、いろんな意味で親や教員がフォローしてやる所は大きいとおもう。とはいえ「置き勉は禁止」とか、例によって”あれ”か”これ”かの二元論でしか、物事をかんがえたりきめたりできない日本という国は、どうしようもなく異質です。



国語辞典なんて、今時アプリでいい。というかアプリのほうが便利でしょう。
それを「紙の辞書をつかうスキルも必要だから」とか、「タブレットをかえない家庭もあって」などと、トンマな理由をもとにみとめないなんて、まったく意味がわかりません。紙の辞書がつかいたい家庭はそうさせたらいいでしょうし、何も全校生徒にアプリをつかわせろ、などといっているわけではないのです。



いまだにビジネスの現場でファクシミリが通信の最前線にある、などという国もめずらしいとあきれていますが、なんだかこういう報道を目にすると、心の底からがっかりします。




だからといって、がっかりしてばかりもいられません。どう変えていくか、当事者や、今回の例なら親自身がかんがえ、学校や役所に「No」をいうしか、まずはないとおもいます。

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