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「夢」をおわない

おはようございます。社長の松本です。


先日、長男が小学校を卒業する事になり、卒業式に参加してきした。


以前は、卒業式に涙がでる、という感情がよくわからず
「なんで関係ない大人が卒業式でなくんだろう?」くらいに思って
いたのですが、式がはじまる前から涙がとまらなくなり(苦笑)、
我ながらおどろいてしまいました。

ようするに、卒業まで子供をそだててきた、自分の過去を振りかえって
ないちゃうんだな。母親がよくなく理由も、なんとなくわかったような
気になります。


小学生の卒業式で、気がついた点が2点ありました。


1点目は、卒業式の“晴舞台感”が、たとえば私が子供のころとは比較に
ならないくらい肥大化しているのだなという事実です。

一言でいえば、子供の服装がやたらと金をかけたものになっていました。
女の子の和服姿くらいは想像していましたが、男の子が、成人式のよう
に紋付袴で登場してきたのには、びっくりしたねえ。きくところによる
と、とあるスポーツチームの所属している男子は、みんなで和装でそろ
えよう、という話になっていたのだとか。着物のレンタルって、2万とか
3万円はするでしょうし、朝早くから着付けの必要もあります。余計な
お世話といわれればそれまでですが、親は時間面でも金銭面でもコストが
たいへんだろうな。


子供の卒業式が晴舞台化する事の是非は、ここでは問いかけません。いず
れにしても、昭和の時代のように兄弟が4人とか6人とかいるのがあたりまえ
の時代ではなく、日本もそれなりに成熟しているのだとしたら、どうして
も一人あたりの我が子への投資=実は私物化、は、さけてとおれない問題
だからです。



それより気になった、2点目の事についてかきましょう。



卒業証書授与のシーンは、担任の教員が生徒の名前をフルネームでよび、
それに生徒が元気におうじて校長の前まですすむ、というおなじみの光景
でした。教員が名前をよぶと「はい!」と溌剌におうじる姿が、さわやか
な感動をよびます。



おや?とおもったのはその後で、校長の前まですすむ道中に、生徒がみんな
「将来の夢」とか「6年間努力した事」について、短いスピーチをはさむ
演出があったのです。



「私は、将来看護師になる夢があります!それを実現するために、中学に
すすんだら看護の勉強を今からはじめたいとかんがえています!」

「僕が小学校の6年間でまなんだ事は!人をおもいやるという気持ちです!
中学生になっても、この気持ちをわすれず、弱い立場の人をたすける人
になりたいです!」



なんなんでしょう。この圧倒的な違和感。


いや、違和感をかんじていたのは、ひょっとしたら私だけだったのしれません。
あるいは、生徒の前向きな姿勢に心をうごかされるシーンなのかもしれない。



だけど、いいようの無い違和感が私にはありました。今もずっとあります。



はっきりと申しあげましょう。たかだか11年だか12年だかしかいきてきてない
子供たちに、将来の「夢」などというものをかたらせていいのでしょうか。

いや、抽象的な夢とか、漠然と「こんな未来になったらいいなあ」くらいの話
ならどうこういいません。私が違和感をいだいたのは、おしなべてほとんどの
生徒が、はっきりとした《職業観》をもっていた事。具体的にしるせば、どんな
職業について、どんな役割をはたしたいか、明確にこたえた事でした。


もちろん、俗にいう”意識の高い”子供だっているでしょう。明確な職業観をもつ
事がわるいといっているわけではありません。しかし、これは一般論として、
小学生の男の子や女の子に、将来高校や大学を卒業した後、具体的にどんな仕事
につくのか、などという高度でなおかつ細かい意思表示をさせるというのは、私
はムチャなんじゃないかとおもう。


社会人になる時がきたとして、自分の子供はどんな仕事につくべきなのかときか
れたら、私は「しのごのいわずに、目の前にあたえられた仕事をとにかくやれ」
といいたいです。具体的な職種だとか役割なんて、どうでもいいではありませんか。
社会人といったところで、20歳前後の若者なわけで、そんな子供に責任ある仕事を
まかせたりとか、どうかんがえたってできるわけがありません。事務職でも営業職
でも、工場の生産ラインから上司の雑用まで、なんだってやればいい。



もっといえば、そうした「自分の意思でやりたいとおもってはいなかった仕事=
業務」をやる中で、はじめて「ホントにやってみたい仕事」というのが、30代
とか、どうかすると40代になってでてくるくらいでいいのではないか。よほど
上昇志向とか問題意識が高い若者ならいざしらず、普通の青年ならそんなものだと
私はおもう。


ましてや、妖怪ウォッチやYouTubeの「HIKAKIN TV」なんかが情報収集のベースに
あるような小学生の子供に、何を画に描いたような夢物語をかたらせようというの
でしょう。



「まあまあ。夢物語かもしれないけど、いいではありませんか」、といわれるかも
しれません。しかし、普通の子供の心理なら、教職員に将来なりたい仕事を具体的
に卒業式で発表しろ、といわれれば、それはほとんど強制的に「先生や親がよろこぶ
立派な夢をいわないといけない」、という意識が大なり小なりはたらく事でしょう。


そして、これは子供たちは自覚こそしない(できない)かもしれないけど、そうした
大人たちにたいする、本人はホントはおもっていないウソの答弁をする事で、ちょっと
だけ彼らの心は傷つき、将来にたいする不安と、自分の夢にたいするウソが、形成され
る事になるでしょう。


これは、小さい事におもわれるかもしれませんが、積みかさなる事によって「将来の
夢をかたる事というのは、あまり本心ではなく適当な事をいっておけばいい」とでも
いった考えにつながるだけでなく、本当に仕事の事を具体的にかんがえないといけなく
なる年齢は場面の時に、真剣に現実や理想と向きあう力を、本人たちからうばう危険
につながるでしょう。



夢をあきらめろ、とはいいません。壮大で、大人が想像できないくらいの夢をもつ
くらいでいいはずなのに、小学生の段階で「パン屋になりたい」とか「看護師の
仕事につきたい」などと、マクロな視点はもたなくていいとおもいます。「世界征服」
とか「金持ちになりたい」くらいで、ちょうどいいのです。

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