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佐々木整骨鍼灸院です

9月のお知らせ

9月の休診は日曜・祭日のみです。

広島でも緊急事態宣言が発令され色々な行事が中止になったり延期になっています。

人が集まる場所への外出は控えた方が良いのですが、自宅に引きこもり人と接しないため精神的に不安定な方が増えてきました。

なるべく身体を動かし日光浴をしましょう。(熱中症は注意ですが)

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20210109-00216765

あとコロナに関してはこのような情報も有ります。

https://osekonoriko.com/corona/

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ed58cd377da861da7a766585e93554e2b4f231e

https://www.data-max.co.jp/article/43472

賛否両論色々ありますが、テレビやネット情報を鵜呑みにせず、不安になりすぎないことも大事です。

★【不要不急】


臨済宗円覚寺派管長・花園大学総長、横田南嶺(なんれい)氏の心に響く言葉より…


令和3年、年が明けると再び11の都府県に緊急事態宣言が発令されました。

2回目の緊急事態宣言は、1回目の時とは趣が異なり、主に飲食店に関する規制でありましたので、多くの人の受け止め方も変わってきました。


2月7日の毎日新聞の「記者のきもち」というコラム記事に「『不要不急』ではない」 という題の文章がありました。

「落語なんて不要不急ですからね」と、緊急事態宣言が出たばかりの1月上旬、横浜の高座で噺家が本題に入る前の枕でこぼしたという話から始まります。

その記者の方は、「正月明けの冬休みに予定していた旅行は、宣言が出てキャンセル。 暇を持て余していたところで、以前から興味のあった横浜にぎわい座に行こうと思い立った。代わる代わる繰り広げられる小咄に声を上げて笑った」、そしてこんな笑いによって、「すさんでいた心に明るさが戻った」と書かれていました。

そして最後に、「落語のような娯楽だったり、気晴らしの酒だったり。コロナ禍の下で『不要不急』とされることが多いけれど、そんなことはない」というのでした。


「不要不急」といい、「無用の長物」といわれるのでしょうが、その無用なものが、毎日の暮らしを支えるもとにもなるのであります。

「不要不急」「無用の用」を楽しみ、大切にする暮らしを今一度考え直してみたいと思うのであります。

コロナ禍でそんなことも思うようになりました。


そんなことを山田無文老師は次のように説かれています。

「無用の長物」と題するコラム記事であります。

『人生に夜のあることはうれしいことである。どんなに仕事の好きな人も、夜は仕事を忘れて眠る。

どんなに金もうけの好きな人も、夜はその貪欲をわすれて眠る。

どんなに学問の好きな人も、夜は本を書棚におさめて眠る。

生命をかけた戦場の勇士も、夜は銃をまくらにしてしばしまどろむであろう。

宗教の世界も、夜のようなものではなかろうか。

弥陀の本願には老少善悪の人をえらばれず、善き者にも悪しき者にも、神は同じく雨を降らせたもう。

世の成功者も、ここではその誇りを忘れて平凡な人の子となり、世の敗残者も、ここではその失意を忘れて、 神のふところにいだかれる。

宗教の世界とは、夜のごとく争いと裁きの憂いのないやすらぎの世界である。

宿題宿題で先生には鞭うたれる。

勉強勉強で家庭では尻をたたかれる。

友達は見向きもしてくれない。

今ごろの高校生には、心の安まる夜がないようだ。

そこで一朝つまづくと、とりかえしのつかんことにもなろう。

大事な人生に、夜が半分もあるのは、無駄のようである。

忙しい今の世の中に、静かにすわる宗教などは無用の長物とも思われよう。

しかしその無駄が決して無駄ではないことを忘れてはなるまい』

というのであります。



「不要不急」が無くなってしまっては、人間は疲弊します。

夜が無くなって昼だけになったら、疲れ果てるようなものでしょう。

たとえ「不要不急」と言われようが、やはり人間は穏やかな気持ちになる時が必要です。

では、いったいどんな時に穏やかな気持ちになれるのでしょうか。

「静かに大空を仰いだ時、広い公園で大木を見上げた時、清流を見た時、浮かんでは消える雲を眺めている時、花が咲いているのを見た時などいろいろあります。

他にも、赤ん坊を見る時、なんとなく穏やかな気持ちになるものです。

子犬や子猫を見る時、これも穏やかな気持ちになれます。

これらの時というのは、 「不要不急」に入れられることでしょうが、無くては息が詰まるものです。


『不要不急』新潮新書
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本書の中に「無分別」についてこう書いてあった。


『この私たちを穏やかな気持ちにしてくれるものというのは、 皆「無分別」であることです。

花が咲くのも無心です。

枝を整えようなどという計らいのない無分別がいいのです。

赤ん坊も、人見知りをするような分別意識のない無分別であります。

子犬も子猫も全く 無心そのものであり、無分別です。

無分別に触れると心が穏やかになるのだと気がつきました。

それは、なぜかというと、 無分別こそがお互いのふるさとなのだと思うからです。

人間は、あれこれ分別して生まれてきたのではありません。

大自然の大いなるはたらきのままに、即ち無分別のはたらきによってこの世に生まれてきています。

その無分別に触れた時に、人は穏やかな気持ちになり、笑顔になれるのだと思います。

毎日の暮らしに笑顔もないと息が詰まります。

笑うという言葉の語源について、諸説あるようですが、「笑う」は「割る」から派生 した言葉だといいます。

根っこに、固く結んだものが割れる、ほころぶという意味が潜 むというのです。

だから顔をほころばせることを笑うというのです。

花が咲くことも、笑うといいます。

つぼみが割れて開くことになるからでしょう。

分別意識に固まっている心が、割れて開かれる時に、笑うのでありましょう。

ですから、笑うのは無分別であります。

山田無文老師の説かれた「夜の世界」というものが、「無分別」の世界です。もっとも穏やかな気持ちになれる世界なのです。

「不要不急」という言葉によって、「無用の長物」が排斥されたり、「無分別」が避けられたりして、分別の世界ばかりになってしまうと、穏やかな気持ちから遠ざかってしまいます。

ギスギスした世になってしまいます。

いじめやハラスメント、更には犯罪も増えることになりかねません。

夜は何もかも忘れて眠る、時には静かに坐ってみる、空を見上げて微笑む、野に咲く花を見て微笑む、そんな穏やかな気持ちになる時を大切にしたいものです。』




「世界から猫が消えたなら」(小学館ジュニア文庫)という、川村元気氏の本を読んだ。
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ある日、主人公が余命わずか、と医者から宣告されたことから、この物語は始まる。

不思議なことに翌日、自分と同じ姿をした悪魔があらわれ、そして取引を持ちかける。

「この世界からモノを一つ消す。そしたら、君の命は一日だけのびる」と。


最初は、携帯、そして映画館、時計、最後は飼っている愛猫。

結局、愛猫を消すことができなくて、本人が死ぬことにする、という切なくてやるせない物語だ。

人でもモノでも、どんなものであっても、失ってみて、はじめてその大切さに気づく。

この世には「何一つだって、消していいモノやことなんてないんだ」、というメッセージがこの本にはある。


コロナ禍の緊急事態宣言では多くの、飲食業や居酒屋をはじめとして、ホテル旅館業、観光施設、エンターテインメント施設、講演会やイベント、旅行、そして結婚式や葬式なども、軒並み中止になり、休業を余儀なくされた。


本当は、この世にや、不要不急、無用の長物も、ムダなものは何一つない。

コロナが収束したら…

もう一度、消えそうになっているモノやコトに大きな愛をそそぎたい。

★勝負とは、敵を先手、先手と打ち負かしていくことであり、構えるということは、敵の先手を待つ心にほかならない。「構える」などという後手は邪道なのである。

     ―――宮本武蔵


「牛乳を飲む人よりも、これを配達する人のほうが健康になる」と、西欧のことわざにいう。健康のためには、栄養よりもまず運動という、せまい意味にとることもできるが、よりひろく、「もらう人よりも、あたえる人のほうが幸福」と解することもできるにちがいない。

     ―――櫻木健古


部下の失敗はただ叱れば良いというものではない。失敗を自覚している時には慰めも又必要です。

     ―――松下幸之助 


知らないんじゃない、知ろうとしないだけ。解らないんじゃない、解ろうとしないだけ。辛いんじゃない、辛かった後の喜びを知らないだけ。

     ―――工藤公康


戦争が最高の解決策なんて、とんでもないわ。この前の戦争で勝った者は誰もいなかったし、この次の戦争だって、誰も勝ちはしないのよ。

     ―――エレノア・ルーズベルト

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