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メールマガジン バックナンバー
『 お前どこ行く かたつむり 』 西蓮寺です。
あいにくの雨、恵みの雨、雨の季節です。お変わりございませんでしょうか、お伺い申し上げます。
かたつむりがいました。蝸牛。ゆっくり歩む牛よりもユックリと、果たして進んでいるんだろうかと思うほど。用事があるんならもう少し急げばいいものを分かっているんだかいないんだか、一日の時間は限られていて皆は過ぎ去る時間の速さを嘆く中、お前マイペースにも程がある。まあ、少し席を離れて帰ってみると意外に移動しているので、進んではいるんだと。しかし、その調子では用事があって家を出てもとても今日中には家に帰れそうもない・・いや、家は自分が担いでいたか。
かたつむりを見ても見る人によって担いでいる殻は色々に見えるようで。
新見南吉の「でんでんむしのかなしみ」では、主人公かたつむりはある日突然自分が大きな「かなしみ」を担いでいる事に気付きます。これは大変だと友人に相談、すると君だけじゃなく自分もかなしみを担いでいるんだと。他の友人に聞いても僕も同じく悲しみを担いでいるんだとの話。自分だけじゃなかったんだと知って慌てるのを止めてそのまま担ぎ続けます。
面白いお話です。新見さんにはその殻は、背負い続ける「かなしみ」に見えたんですね。
ひとは自分だけと思いがちですが、言い回っていないだけで皆、他の誰にも預ける事が出来ないものを抱えています。
ここに一句。
『 かたつむり どこで死んでも わが家かな 』(一茶)
かたつむりだけでなく、自分もどこでどのような命の終え方をしてもそこが私の居場所である、という境地でしょうか。
『 ゆく先に わが家ありけり かたつむり 』
これまた同じ境地かとも思い、また、最期の時ではなくて歩み続けるこの一日一日一瞬一瞬に「わが家」が共にあるんだとの示唆かと。
外で頑張って艱難辛苦色々あっても疲れた身体とこころ休める為にフラフラに帰ってゆくのが家、「わが家」です。そこはホテル・旅館のようにキレイに整えられてなかったとしても安心してバタンキューと寝っ転べる場所。
飾らない自分でいられる場所、それを許される場所、知っていてもらえる場所、待っていてくれるひとがいる場所、些細なことに一緒に笑ってくれる怒ってくれる泣いてくれるひとがいる場所。
かたつむりの様に実際に家を担いでいませんが ≪ 帰る場所が私にはあるんだ ≫ という事がずっと私と共にあって、わたしの後ろに「わが家」があってその事で安心して難儀な事にも出会ってゆけるということを思います。 ゆく先に わが家ありけり かたつむり。 頑張っている踏ん張っているひとりひとりですが、それが出来ているには常に大きな支えがある、という事を教えてもらいます。それに気付いて生きる時には、さらに大きな力になる事を。
『 かたつむり 泣きたい時は 殻に入る 』
これもいいですねえ、何とも好きな一句です。
泣く事がないのが「しあわせ」ではありません。
泣く場所がある事が「しあわせ」です。
時節、暑い頃にむかいます。くれぐれものご自愛念じ上げます。
西蓮寺 栗山知浩 拝