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メールマガジン バックナンバー
『人生なんてアッちゅう間』とは言わせない。 西蓮寺です。
「時間がたつのが早い」
年々感じます。徐々に早くなっているのではないかと思います。まるで石が坂道を転がるように<ローリングストーン>のように加速度がついているのではないかと。
時間だけは平等にある、と言われてもそうとも感じられないこの頃です。
時間の長さで思い出すのは「人間界」と「天上界」と「地獄界」の時間の長さの違いのお話。この世界人間界「人間界の50年をもって天上界の一日一夜とする」と。まあ、なんという事でしょう、わたし達の50年は天界のたった一日、24時間でしかない。あっちゅう間ですね。そりゃ、時間がたつのも早い訳だわと思います。 (織田信長も本能寺で謡い舞ったとの伝もありますね)
そして、その「天上界の50年をもって地獄の一日一夜とする」と聞いた日にはビックリ
の仕方が変わります。『何とまあ、地獄の一日は長いんだろう・・。』
いったいどのくらい長いんだろうと自分に分かりやすくする為に計算を試みました。
「地獄の一分間はこの世界の何年間にあたるか」。まず天上界と人間界の時間から考えて50年が24時間だから・・いや先に24時間を分にした方が・・いや、地獄から考えた方が・・。
やめました。算数は昔から苦手です。なにせ地獄の一分一秒は長いんでしょ。(苦笑)
思えばそうです、楽しい時間はアッと言う間に過ぎていってしまいます。反対に嫌な時や辛い時、叱られている時など早くこの時間が過ぎればいいのに・・と思っていても延々と長く終わる事のないようにさえ感じます。ただひたすら我慢。・・・地獄です。
もうひとつ思う事。
それは『今はドンドン早く過ぎるけれど、子供の頃の一年はなぜあんなに長かったんだろう。』
古今東西賢人も色々考察されてあります。一つには「10歳の子供の一年は1/10、60歳の大人の一年は1/60。だから大人になるはど時間は短く早く感じる」と。
なるほど・・・とも思いますが何か眉に唾をぬりたくなるような・・(失敬)。
わたしが思うに。
子供の頃は「待つ事」が多かったように思います。
早くお正月が来ないかな・・早く遠足の日が来ないかな・・早くお誕生日が来ないかな・・。
もう幾つ寝るとやって来るのかと指折り数えて待っていました。なかなか来ない。
今はお正月はそれほど楽しみでもなく来なくてもかまいませんし(かな?)、誕生日など年取るだけなので来ない方がいいくらい(でしょ?)。年々、待ち遠しく「待つ事」が少なくなって来ました。この先必ずやってくるのは老い・病と知っていれば尚の事でしょうか。
中々やって来ない待っている事が沢山あったから、時間が長く感じられていたのではないかしらと。 歳追うごとに何度も経験して慣れてしまって感動が薄くなってしまうと、時間はドンドン早くなり追いかけてくる様に感じ始め、ついにはいつか追い越されてしまうのではないかしらと。 ・・・追い越されてしまう、その時を・・いや控えましょう。
さてそこで。
もし、時間が早く過ぎ去るのを嘆くのであれば。 嘆くのであれば。
少し先に「待つ事」を置いておいたらどうでしょう。 というお話です。
「そんな今更、待ち遠しい楽しい事などあるもんですか」
と仰らずに。
『今度久々にあのひとに会える、会いにきてくれる』事をちゃんと楽しみにする。
『暖かくなったら、あそこの花でも見にいこうか』とそれをちゃんと楽しみにする。
なんでしたら
『来週の火曜日は思い切ってすき焼きだ』今まで何度も食したものであっても、一回の大事な楽しみな食事として心底手を合わせて頂く。一緒に食べるひとがいる事を喜ぶ。
毎日の些細なひとつひとつを <初めてで、最期のこと> と頂けたら、時間の流れ方まで変わってくるかも知れません。
世情いまだ落ち着きません。 くれぐれものご自愛念じ申し上げます。
西蓮寺 栗山知浩 拝