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うつ病を克服した夫との誓い
こんにちは。
おうち看護師のようちゃんです。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
今日は、先ずハッピーシェアをしたいと思います。
そして、そのことを通しての夫婦について感じたことを
シェアしたいと思います。
昨日、母が約1ヶ月ぶりに病院から
自宅に帰って来ました。
母は、今年に入って
少しずつご飯を食べられなくなっていて
原因検索と栄養管理目的で入院していました。
食事を食べられなかった理由は
母自身が言葉にすることができず
なぜそんな状況が起こっているか
とても心配しました。
おかげさまで
母は身体的な病変はなく
食事も摂れるようになったので
無事に昨日自宅に退院しました。
昨日、自宅に電話すると
元気な母の声を聞くことができて
とても嬉しかったです。
母が入院していた昨日までのことですが
世間一般的にはコロナ禍は終息したと言われていますが
病院はそうではなく
母が入院していた病院では
家族が面会することは禁じられ
母の洗濯物の受け渡しも
病院の玄関先で係の人を通して行っていました。
母は携帯電話を持っていないかったので
入院中に電話することはできず
母がどのような病室にいるのか
どんな検査を受けているのか
どんな表情なのか全く見ず
母の情報が一切入ってきませんでした。
病院側としては
母が携帯電話を持っているだろう
母から自宅に電話して状況を伝えているだろう
そう思っていたんだと思います。
今は、誰でも携帯電話を持っている時代ですもんね。
母の状態が全く伝わってこなくて
不安でいっぱいだったとき父が
「お母さんに手紙を書こうと思う。」
「次の洗濯物の受け渡しの時、洗濯物と一緒に
手紙を入れてみようと思う。」
と言いました。
わたしは、
父は優しいなぁ、と思いました。
実は、父は母が入院したことを
入院して1週間ほど
私たちに黙っていたんです。
おそらくそれほど深刻には
考えていなかったのかもしれません。
もしかしたら
私たち心配や不安・負担をかけたく
なかったのかもしれません。
入院中の母に全く会うことができず
母はもちろんそうですが
父自身もとても心配と不安があったと思います。
父は週2回の洗濯物の受け取りのたびに
洗濯物と一緒に手紙を入れて
母に届けていました。
母が手紙を読んだのか
その情報さえも家族に届かない中
父はそれでも手紙を毎回書き続け
母に届けました。
途中からは
病院に電話をすると
母の状態を医師や看護師から
聞くことができたので
少し安心することができ
そこからは
ただただ祈るというか
母の回復する力を信じ
母をサポートしてくださっている
医師や看護師、チームの皆さんを信じて
自分たち家族も自分のやるべきことをやろう
という風に家族の思いが変化していったように感じます。
父は母に週2回手紙を書き
どうにかして母と連絡を取れないか
母と会話する手段を考えていたようです。
何回目かの洗濯物の受け渡しの時に
未使用の便箋と封筒を
洗濯物の中に入れていました。
母に手紙を書かせよう作戦です!
結局、母が退院するまでに
母から手紙の返信はなかったと思いますが
退院1週間前くらいに
母から父に電話がありました。
母は看護師さんに手伝ったもらい
病院から電話をかけたのでしょう。
母と会話したことを
父は冷静に淡々と でも声のトーンは高く
母から電話があったことを
わたしに話しました。
母の入院中
父は一人で暮らすことになるので
私が実家に泊まりにいったり
日帰りですが
父が私や姉の家に来たり
父との関わりはなるべくもつようにしました。
母が入院したばっかりのとき
父に私のところに泊まりに来ない?
と聞いてみました。
父は
「うんにゃ(鹿児島弁で いいえ)、お母さんも一人で頑張ってるから
おい(鹿児島弁で 俺)も一人でお母さんが帰ってくるのを待つ。」
と。
私もそうでした。
夫がメニエル病の症状がきつくて
入院したとき
実家には帰らず
毎日病院に面会に行き
面会時間ギリギリまで夫のそばにいて
これから夫の体調がどうなるのか不安で
帰りの車の中では音楽をガンガンかけ
泣きながら自宅に帰っていました。
父と母は結婚して50年近く経ちますが
子育てを終えて
父と母の二人きりで暮らしている時間は
もう30年ほどです。
父が狭心症で緊急入院した時は
母がこれまでにない早さで対応していて
普段おっとりしている母にも
そんな部分があるんだなぁ
と驚いたことがありました。
あなたは結婚式で
今のご主人や奥様と愛を誓いましたか?
『誓いの言葉』
『病める時も健やかなるときも
〇〇を愛することを誓いますか?』
父と母が誓ったかどうか知りませんが
私は誓いました。
今、誓っていたことを思い出しました。
夫がメニエル病の症状がきつく
一人で歩けなかったときも
夫がうつ病で
布団から出てこなかったときも
夫のうつ病が軽快し
仕事復帰したときも
どんなときも
私はいつも夫を見守ってきました。
時には過剰なサポートをしていたときもあって
夫に嫌がられたこともありましたが・・・
自分が誓ったことを
ちゃんとやっていました。
母が退院するまでの約1ヶ月間
私の気持ちはジェットコースターまでとは言いませんが
不安や心配、悲しみ、苛立ち、喜び、尊び、感謝
様々な感情を味わいました。
母の存在
父の優しさ
父と母の夫婦としての関係性
両親と子どもである私との関係性
姉との関係性
夫の存在
夫の母の存在
そのことを夫に話すと
「志を立てたことがとても大きいと思うよ。」
と言ってくれました。
どんなときも
私を見守ってくれている夫に感謝です。
今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました。
優しいうつ病を克服した夫が鹿児島県霧島市で
リアルワークショップを開催します。
よろしくお願いします。
https://ticket.tsuku2.jp/events-detail/69400527028204?t=3&Ino=000011109500
ワークショップには
↓↓↓これを作っている吉田俊道さんをお呼びします!
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