2024.10.04
眼科学教室通信(1)私の修業時代〜研修 オペ食
当時の東大では、外来を除いて医局・研修室・病棟・手術室が独立した一つの建物に納まっていました。手術は火曜日と金曜日の13時過ぎから病室に隣接する手術室で行われました。一日に平均で15件(記憶に残る最大件数は23件)、難治例やスペカンを除いて、大多数の症例は指導医のもとで医局員が執刀するのがルールでした。また、いかに遅くなっても全部のスケジュールが終わるまで医局員は漏れなく残っていなければならない、というルールもありました。終了後には全員外局に集合して寿司をつまみビールを飲むのがレーゲルで、楽しく有益な研修カリキュラムになっておりました。
オペ食に一番よくつきあってくださったのが鹿野先生でした。その日の手術の反省点はもとより、患者への説明のコツ、予期せぬ事態への対処の方法など、手術中の厳しい指導とは全く違う先生の愉快な話術に魅せられて時間の経つのも忘れたものです。
形成術や難治な網膜剥離などが重なるとオペ食の開始が22時を過ぎ、当時は車をもつ医局員は皆無だったので遅くまで飲酒することができたのは良いとして、終電者に乗り遅れてしまうこともままありました。今様に言えば手術検討会、診療談話会ということになりますが、形式にとらわれない研修プログラムとして忘れ得ぬ思い出です。
出典:『落穂のバスケット(2001)』眼科学教室通信