2024.09.30
眼科学教室通信(1)私の修業時代〜研修 part2
研修プログラムだ、カリキュラムだといったシステムも大切ですが、実質が伴わなければ絵に描いた餅になるだけです。そのため、次のようなスケジュールで一週間の研修が行われました。
月曜日:外来(教授)、夕方から病棟回診(教授)
火曜日:外来(講師)、午後は手術(助教授)
水曜日:外来(助教授)、外来手術(デーサージャリー)
木曜日:外来(教授)、夕方から病棟回診(助教授)
金曜日:外来(講師)、午後は手術(教授・講師)
土曜日:外来(助教授)
月曜日から土曜日までじっくりと研修に励むことができる毎日で、しかも患者を自分だけで診ることは許されず、常に指導医の助言指導を受けることが内規でした。また、検査法や治療法の実務はもとより、診療上のさまざまなことを伝授するオーベン(指導医)・ネーべン(研修医)制度があり、それは医局へ入局後六ヶ月間というのが内規でした。私のオーベンは丸尾敏夫先生で、先生からは患者指向の実践的研究の進め方について具体的に教えられました。その後の私が神経眼科や小児眼科、最近では遺伝病に興味を持ち、動物を使った研究を自分では一度も行ったことがないのはオーベンの影響を受けたためかもしれません。
研修の成果を得るために最も大切なのは研修資源の質と量であることは言うまでもありません。当時は東京および近隣で眼科の大きな施設は限られていたことも手伝って、新患が年間約15,000名と多く、これらの面では大いに恵まれていました。また、疾病の内容も研修の参考となる全般にわたって充実していました。そのほぼ全てを医局員が診ていたので、よくできたものと当時を振り返るのですが、知識や技術が革新前夜の時代だったからだと思います。教授はじめ指導の先生方も学内外の会議や国内外の学会等に振り回されることのない時代であり、先生方と毎日一度は顔を合わせることが可能だったのです。こうして、指導医の理念と力量、潤沢な教育資源に恵まれて、文字どおり実のある研修を行うことができたのです。
次回から、忘れることのできない思い出をいくつか記してみましょう。
出典:『落穂のバスケット(2001)』眼科学教室通信