人生は想像と創造

最近強く思うのは、
自分を内観し
気付き
つど、在り方を確認する
というような自己との向き合いを疎かにすると、どんなセラピーを受けようが余り意味が無いということ。
ディメンション然り。
ディメンションをずっと受けていると、深く沈み込んでいたドロドロした感情が炙り出されてきます。
そして自分の魂の声に否応無しに向き合わざるを得なくなります。
(わたしの体験として)
より軽やかに自分を生きたい、在りたいと願えば、これまでにたくさん蓄積してきた不用な感情や思考などを手放すことが大切になります。
感情を感じきらずにパッと手放せば良い
(各々で決めた合図で)手放したと決めるだけ
とかの方法も聞きますが、
わたしの感覚では、そのやり方では
「手放した気になっている」
人が多いのではないかと感じています。
一部のストイックなサイキッカーなどは可能でしょうが、よっぽど集中し意図してやらないと「そんな気」になっているだけなんじゃないでしょうか。
しっかり自分の感情や本音に向き合い、気付き、在り方を決め、新たな自分で生きる。
そのプロセスはとても大切。
スピリチュアル的な知識が無くても、カウンセリングやセラピーみたいなことをわざわざ受けなくても、日々の様々な出来事から、当たり前に自分を内観し意識を変えていく人はたくさんいます。
本来人間は、本当に素晴らしい存在なのです。
なんにも知識がない赤ちゃんを見ると明らかですよね。
むしろ知識が足枷となっているようにも思います。
知っているのと、やっているのとでは雲泥の差です。
ディメンションサウンドセラピーは、出来事の展開を早め、本来の自分になるために要らないモノに気付くための「違和感」を分かりやすく浮上させ、そのアクセスコードを正常化するお手伝いは出来ます。
しかし実際、どんな生き方をするのか決めて進んでいくのは、どこまでいっても本人の意識次第です。
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