担任の先生がビンタ。そして、子どもは親を諦める

「そこへ並べ。言っただろうが」
バシッ!
「うっ」

バシッ!
「うっ」

バシッ!
「うっ」

バシッ!
「うっ」

「ちゃんと直しておけよ」
先生からビンタ
これは私が中1のときに担任の先生に殴られた話です。実はそれには理由があったのです。
それは
「掃除用具入れのドアに大きな穴を開けてしまったから」
です。
当時は4人で馬乗りをやっていました。そして、丁度掃除の用具入れを背にして乗っていたので、そのままで「ドア」にのめりこんで穴が・・・
それを見た先生が、生徒を並ばせてビンタです。1人1発ずつ。
その話は、20年たった同窓会のとき飲み会でも話が出て
「そういえばそういう事はあったな」
と話に出てきます。ですが、
「決してその先生を嫌っていた」
わけではないのです。今なら問題になるかも知れませんが、当時は
「殴られてもしょうがないな」
と納得していました。というはその先生は
「2回目までは口で注意するが、3回目は殴る」
と宣言していたからです。だから、いつもは
「2回目でセーフ」
だったのが、今回のは
「やばっ」
と自分たちもわっていたからです。
今でも納得しているので、良い思い出です。

良いと思ったことが・・・

ところが、同じ先生で他の日にこんなことがありました。
当時は、担任の先生も教室で食事をするのですが、私は先生のご飯をじゃこ飯にするために、
「ご飯にじゃこを入れて混ぜた」
のです。当然
「いたずらではなく先生がおいしいだろう』 と思ってやった」
のです。そして、教室に入ってきた先生がすごい剣幕で
「これをやったのは誰だ」
「はい」
「給食室に行って変えてもらってこい」
「・・・」
「すぐいけ」
「はい」
と。正直に言うと、
「殴られたときは平気でしたが、そちらの方がショック」
だったのです。というのはもちろん、今では
「余計なこと」
だったということはわかりますが、当時は
「先生がおいしく食べられるだろう」
と思ってやったことが、先生は
「いたずらでやった」
と思われたことです。今でも
「ガックリして給食室に行った」
ことを思い出します。
「何でこんなことを覚えているのだろう」
と自分でよく振り返ってみます。

理解してもらうこと

すると結論は
「自分のことが理解してもらえなかった」
ということが一番大きかったのかと思います。
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私 →先生に喜んでもらえると思った
先生→いたずらでやられたと思った
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と隔たりがあったのです。多分、そのときに
「何でこんなことをやったんだ」
と理由を聞かれて話をしていて
「俺はこれは好きではない。だから、ご飯を替えてくれ」
となっていたら、また違っていたのかも知れません。ただ
「動機ではなくやったこと」
で判断されたからです。実はみんなそうですが、
「自分のことを理解されたがっている」
のです。もちろん
「理解される」
というのと
「相手のことを理解して言うことを聞く」
のとは別の話です。ですが、
「自分のことを理解されている」
と思えるだけで相手の言葉が
「素直に入ってくる」
のです。

子どもが親を諦める

なぜ、こんな話をするのかというと
「子どもが親を諦める理由」
と同じだからです。この先生はまだ、生徒にとっても理解してくれている先生でしたが子どもの中には、親に対して
「どうせ親に言ってもムダ」
という子も多いです。それは
「親が見た現象だけで判断されてしまうから」
です。何かをするときには必ず
「理由がある」
のです。もちろん、
「理由があるなら許される」
というわけではないのですが、その理由を
「理解して欲しい」
のです。それもなしに
「一方的に親の意見は正しい」
だけで子どもに当たってくるからです。それで
「子どもは親に理解されないと思っている。それなのに理解されないので理解されることを諦めている」
のです。
子育てには当然
「叱ったり、躾けたり」
する必要はあります。ですが、その前に
「相手を理解しようと努力する」
ことが第一歩に必要ではないかと思います。
そうすることで
「子どもも理解しようとする」
のです。今日はいろいろあってこんなことを思い出していました。

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