2024.12.03
眼科学通信(2)私の学位論文 part3
学位審査、視覚誘発電位研究のその後
学位申請にどんな書類を用意したのか記憶がないが、とにかく上位の論文要旨と論文の別刷を揃えて申請の手続きをした。審査で鮮明に記憶しているのは、まず外国語試験である。指導教官の鹿野信一先生に呼ばれ、「この英文をわかりやすい日本語に訳してもってこい、時間は制限しないが、本日中に」と。これが外国語の試験であった。論文の審査であるが、主鎖は指導教授、帛紗は耳鼻科の佐藤晴雄教授と生理学の内薗耕二教授出会った。当時(昭和44年6月)は大学紛争の余塵がまだ燻っている時代で(東大安田講堂落城はその1月)であった。副査の佐藤教授は本来の教授室が学生に占拠されていて病室の一部屋におられるのを訪問、あらかじめ持参しておいた論文別刷を取り出されて「よくできました」の一言で審査は終了、ただちに承認の印をいただいた。整理の内薗先生は活気を失った基礎医学研究棟の居室におられ、そこでは1時間以上にわたって今後の研究のことをあれこれ討論してくださった。審査の結果について知ることもなく、まもなく渡米した。合格を知らされたのは既に次の研究を始めていたアナーバーのミシガン大学においてであった。
視覚誘発電位(視覚誘発脳波、visual evoked potential, VEP, visual evoked response VER)は1970年以後、電子技術やコンピュータ技術の発展とあいまって活発に研究が展開された。私が学位論文要旨の結語で指摘しておいた事項について三十数年後の現在の知識と照合してみると、局部刺激に対応すること、黄斑部機能を主として反映することなどが確認されるとともに、パターン刺激に対応するpattern VERが容易に記録できるようになった。そして、視力と対応させて網膜疾患や視神経疾患などの病状をいわば他覚的に把握することもできるようになった。
私自身は学位取得を節目に視覚誘発電位の研究をふたたび行うことはなかった。それには、さまざまな理由があるが、眼科領域での研究目標は、疾病の特性や原因、更には治療に結びつけることだと考えたことである。視覚誘発電位の研究発展は視覚のアセスメントには大きく貢献したが、視覚誘発電位の応用によってはじめて「疾病の理解」が可能になった事例はほとんどないのではないだろうか。
出典:『落穂のバスケット』大庭紀雄(2002)