眼科学通信(2)私の学位論文 part2

さて、研究のテーマであるが、当時の東大では角膜、ベーチェット病、神経眼科の問題が課題となっており、教授からの指示は「電気生理」グループに所属して神経眼科を専攻すること、テーマや方法は自由になんでもよい、ということであった。斜視やジャクシの臨床研究、外眼筋の筋電図検索が活発に行われていて先輩を手伝ったが、色々な経緯から視覚誘発電位に取り組むことになった。この分野はまったく新しく、国の内外で注目するものはほとんどなく、わずかに一年先輩の井上治郎先生(帝京大助教授を経て、現在は井上眼科病院長、東京都医師会長、東京都眼科医会長)が取り組んでいるだけであった。電気生理をやるからには電気のことを知らなければと、秋葉原の電気街へ行ってジャンク部品を買い集めてラジオを作るのが研究のスタートだった。三か月の苦闘によって自作したラジオから綺麗な音が出たのであるが、今ではよい思い出である。


ラジオを作りながら具体的な研究課題を考え、視覚誘発電位をなんとか眼科の臨床問題と結びつけたくあれこれ夢を描きながら、網膜の局所刺激と視覚皮質との対応がどうなっているかという問題を検討することになった。誘発電位の記録法として光刺激で誘発される30回ほどの反応をブラウン管上で重ね合わせて写真に撮る、という方法がとられていた。しかし、この方法では自然に発生しているのうはとゆうはつのうはとの識別が悪く、詳しい分析は困難であった。その頃、computer of average transient (CAT)という最新の研究機器が米国で開発されたのであるが、大学ではとても買ってもらう金はなく、井上先生とともに五反田の三共製薬の研究所や銀座の商社・日綿実業に押しかけて実験させてもらうこともあった。一年ほどすると、我が国でもコピーが発売され、CATほどの性能はなかったのであるが、大学の研究室で日研究を続けることができるようになった。具体的には、小さな光刺激を作成して網膜のさまざまな部分からの反応を記録したり、単純な光ではなくパターンをもつ光刺激で記録したり、明順応や暗順応の状態をいろいろに変えて記録したり、さまざまな刺激条件で視覚誘発反応を記録したのである。


刺激の方法についてはいろいろな困難を克服したので、残るのは被験者をどうするかだった。まずは清浄者であるが、自分が被験者になるのが最も確実で基本的なデータはいくらでも得ることができた。追加実験にはまずは家内を気兼ねなく使った。また、学生を使ったが家内のように無料というわけにもいかず、文字どおりポケットマネーをはたいたのであった(数年後に留学した米国の研究室では、学生でも患者でも協力謝金という研究費を計上した上で研究を企画し実行されているのを知って驚いたのを覚えている)。


出典:『落穂のバスケット』(2002) 大庭紀雄

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