パニック・アタック〜その1:なぜ起こるのか? 配信日: 2020-08-19 10:58:19 残暑お見舞い申し上げます。 この2、3日、風が変わってきているのに気付く様になりましたが、今年の夏は、最も暑く感じます。 3歳の孫は先日、「私は、暑い夏が好き!」と言っていました。その元気なハッキリした口調と表情に私も元気になりました。 いかがお過ごしですか? ーなぜパニック・アタックになるのか? それは、内側に強烈な葛藤があるからです。 葛藤とは文字通り「葛(かずら)や藤のツルがもつれ絡むこと」、 思考と思考、感情と感情、また思考と感情が衝突したり、引っ張りあったりして争っている状態です。 図で書くと、こんな風です。 →← ←→ そして葛藤は、 ・欲しいものと持っているものが一致しない。 ・自分でないものになろうとする。 ことから生まれます。 ほとんどの人が持っている葛藤ですが、 パニックアタックはただ葛藤を持っているだけでは起こりません。 その葛藤の度合いが強烈であることから生まれます。 アクセルとブレーキを同時に思い切り踏んでいる、そんな状態です。 ー私のパニック・アタック体験 ・その引き金となったもの: 私のパニック・アタックは、1974年7月末の夜、突然襲ってきました。 その日を遡ること4ヶ月前、エレベーター事故に遭遇していました。 正確に言うとエレベーター事故を起こしたんですね。 7人乗りのエレベーターに13人が乗りました。新人研修中のことです。 皆、若くてスリムですから乗れてしまいました。 ブザーが数回なって、ドアも開いたり閉じたりしたのですが、無邪気に面白がって誰も降りようとはしませんでした。 そして、スーと下降が始まりました。 でも気がつくと、エレベーターは止まっていました。 まず、ぞぉーっとしました。 内側のドアが手動で開けられるまでほんの数分でしたが、密閉状態で酸素がなくなって行くのを感じました。 酸素不足の感じ、恐怖で気が遠くなってゆくのを今でもよく覚えています。 すぐに助けてもらって事なきを得ましたが、すごいショックが入ったことは自覚した覚えがあります。 これが私のパニック・アタックの引き金となった出来事です。 ・パニック・アタックを起こすには強烈な葛藤が存在します。: 私のそれは、幼い頃にとった戦略に関係します。 それは5歳前のこと、大家族の長男に嫁いだ母をサポートしなければ生きてゆけない、 と気づいた私は、母の味方になることを決心しました。 母が「離婚しようかと思う。」と言った、その時のフィーリングは、圧倒される様な恐怖でした。 ある時、瞑想中にその決心をした時の瞬間のビジョンを見ることができました。 内側のバランスが西に傾きました。偏った正義の誕生です。 それ以来、母の視点を私のものとして世の中を見る様になったのです。 「自分自身でないものになろう」とし、その道を歩き始めたのです。 いわゆる、サバイバル戦略です。 「自分自身でないもの」になろうとしたり、「偏った正義=ジャッジメント」は生体(身体・感情・精神)を弱めます。 ほんの少しの刺激でも崩れてしまうのです。 とは言え、思春期には自己実現も果たしましたし、幸せな学生生活も過ごしていたのですが、 自分のサバイバル戦略については意識できていませんでしたので、 困難な状況に陥るとそのアンバランスが内側の中心を占めてしまうのでした。 パニック・アタックを起こす頃、どんな状態だったかと言いますと、グラウンディングができていない状態でした。 グラウンディング、地に足がしっかりつく感じは、日本の「道」とつく習い事をしている方はよくご存知ではないでしょうか? パニック・アタックを経験する頃は、心身とも畳の上をしっかりと歩くことができない状態でした。 おかげさまで今は、パニック・アタック以前より健康レベルはアップしていますし、もちろんその後遺症もありません。 また、なぜその状態に陥ったのかもよく理解できて、リラックスした呼吸ができています。 〜つづく 次回メルマガはパニック・アタックの後遺症としてのトラウマとその回復について。